「意識性」について思うとき、そこに何があるのか。
それは、まず「今、ここ」という概念のようだ。
「今、ここ」という概念は、言葉は簡単でも意味が深く、私にとってなお未だ理解が難しいと思っている。特に、理解を難しくしているのは、「今、ここ」の究極は、「過去」「現在」「未来」が同時に存在するという概念に行き着くからだ。
様々な賢人たちの言葉を聞いていると、一応、分かったような気になるが、もう一つ、しばらくすると、自分の中で、何か分かったつもりのことが、
腑に落ちるほどの理解にまで至っていない。充分に反芻できず、どこかすっきりしなくなる。
私にとっては、この「今、ここ」の概念には、もう少し勉強が必要だと感じている。
もしかすると、長くかかるのかもしれないが。
だが、理解したい意欲は、充分にある。
その意味で、今回のブログのテーマとすることには、やや中途半端さがあるかもしれないが、
どうかお許し願いたい。
中途半端なところで、何かを考えているうちに、あるいは、何かを表明しているうちに、
それでも、ちょっとした理解を得るための気づきは得たりするものだと思うので。
この意識性だが。私の心深くに心象としてあり、
「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)の本を手にして、パーンとめくったところに、2回目か3回目ぐらいのとき、
意識性について書かれている記述を発見した。
このときに、私の気持ちがなびいたのだ。
「ザ・シークレット」(p272)の冒頭にあったので、目を惹いた。
「あなたの思考は、あなたが油断していると、制御不能な蒸気機関車の様になって
しまいます。それは、過去の思い出にあなたを連れて行くこともできます。
また未来にあなたを連れて行き、過去の思い出を未来に投影してしまうことも
あります。」(前出「ザ・シークレット」:p272より引用)
とあった。
「ザ・シークレット」は、さらに続けて、
「こうした制御不能な思考もまた、何かを創造しているのです。」
(前出「ザ・シークレット」:p272)と。
ここを読み返しているうちに、意識性について、考えてみようと思い至った。。
その昔、「ふらちなロンドンハーツ」という番組があったが。ジョーダンで、
その言葉の流れにワル乗りするなら、「不埒な思考」というあたりか。
このあたりまでを記述したとき、
ほんの少し前まで、晴れ間もあったのに、
午後を3時半を過ぎたあたりから、どんどん薄暗くなり、この季節らしく寒くなりつつあった。
陽ざしはすぐになくなった。そればかりか、暗くなるのが早い。近頃は、寒い冬は、嫌だなと思うようになった。
なぜ、こんなことをこのブログにインサートしたかというと、この曇りがちの天気が、二元鏡に棲む私たちの思考の海と、その結果を生み出すことが、決して無縁でない気がしたからだ。
それを分析してどうのこうのではない。何かの余波として、いや、ただの直感として、そう思ったのだ。で、日が暮れた。
話を戻そう。
「ザ・シークレット」には、重要な示唆が私たちを導く。
「あなたがしっかりと自分の思いに気付いていると、あなたの意識は今この瞬間に
あるので、自分が何を考えているのかを知っていることになります。すると、
あなたは自分の思考を制御できるようになります。」
(前出「ザ・シークレット」:p272より引用)
と、述べている。
私たちが「今、ここ」に意識して生きることの大切さ必要性を説いている。
さらに言えば「今、ここ」という感覚こそが、
私たちの意識性を高めている大切な瞬間であるという示唆となっているようだ。
この意識性については、トランサーフィンが、かなりの拘りを持って、私たちに示唆を説いている。それについては、別途、いづれかの機会にさせていただく。
注目すべき点は、
トランサーフィンでもそうだが、意識性は、私たちを本源的なものにするようだ。
そこを、「ザ・シークレット」は、私たちに分かりやすく伝えている。
それは、難解な謎解き推理ドラマの犯人探しか、あるいは何かの答えを事前にお知らせするようなメッセージだが。
私たちは、推理ドラマのような仮想世界に生きる必要は全くない。
たださえ知ることが多すぎるのだから。その意味で、無駄に時間を過ごすことができない。
で、勿体をつけず、
知っておく必要のある示唆を紹介しておこう。それは、
「今この瞬間こそ、すべてのパワーが存在しているのです。」
(前出「ザ・シークレット」:p272)
と、あることだ。
☆ ☆ ☆
【フィリピン・夢見メモ】
フィリピンの彼女の田舎へ行ったとき、ある晩、外に出て夜空を見上げた。時間は、おそらく、19:30を少し回ったごろだろうと思う。フィリピンなら、夜空の星をたくさん見ることができるだろうと思ったからだ。実際、数えることのできないほどの星は見えた。期待していたほど多くはなかったが。それでも、東京の空とはまるで違う。夜空を見上げ、そして、周りの田んぼを眺めた。今ここの、この瞬間には、日本での煩わしいことが、何一つない。ここにいるのは自分がいるだけだ。なんと穏やかな時空の流れだろうと酔いしれた。こんな夢見の選択もあるのだな…とつくづく思う。この後、彼女の部屋に戻り、彼女の幼い子どもたちと遊んだ。
★戻る | ★前日の記事を読む
★過去リンク
夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/
夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/