私たちの誰しもが、一度や二度は、何らかの成功法則の本を読むだろう。
あの巨大なベストセラー「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)は、このブログにアクセスしていただいている方なら、一度は、読んだ方も多いだろうと思う。
そして、「引き寄せの法則」などを実践してみた方も多いはずだと思う。私もその一人だ。
そこで、私も含め、多くの人が、思いどおりに行かないことから、願望実現の難しさを識る。あるいは、望むリアリティの具現化の難しさなどを識る。
「あー、ダメだ」と落胆する。「本のようには行かない」と諦めるか。
本に書かれていることに胡散臭さを覚えるに違いない。
私は、それは違うと思っている。
実は、どの場合も、願望の実現化が作用し働きつつあるのだ。
だが、結果に対して、せっかちな私たちは、私たちの内部に巣食う意識しない=無意識の思いが、願望実現を阻んでいる場合があるということ、または、それ以外の理由などで、望むとおりの状況・状態を引き寄せ創造することができなかったのだと思っている。
私は、それを賢人たちからの教えの一部として知ることになった。
特に、鋭いトランサーフィンなどの示唆だったり。
そしてビタリー博士の示唆からも受けている。
願望実現を阻んでいる無意識――これを探るのは、私たち自身の責任においてかなり自省を要する必要があるように思う。望む願望との現実との対比で、ひとりひとり原因が違うからだ。だが、一つだけ、私たちは、鏡の現実からそれを知ることができる。鏡がチェックのような機能を持っているからだ。
いま自分の目の前の現実から、私たちに何が具体化、あるいは現実化されているかで、私たちの無意識の本質を知ることができるということだ。だが、それを受け入れ、見極めることは、容易でないと思っている。勇気もいる。
もう一つは、コメント欄に私がレスポンスで書いたことと、少し重複するが、
トランサーフィンの第4巻、「トランサーフィン『鏡の法則』」(ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)
の中の、軸になっている「鏡の第7つの法則」の3番目で、そこには、次のようにある。
3.二元鏡は遅れて反応する。(前出「トランサーフィン『鏡の法則』」:p185)
とある。ここが重要な意味を持つ。願望実現までにタイムラグがあるのだ。
度々。著者のゼランド氏は、当該著書のシリーズの中で、リアリティの現実化には、タールのような粘性が帯びており、著しく変化が遅いこと述べている。だから、
鏡の中の世界については、じっくり観ることなく、さり気なくか、チラ見する程度にすべきだと言っているくらいだ。
この遅れて変化する現実に騙されると、永遠に悪循環の輪の中に入り込んでしまうことになる。
結局、「何も変わらないじゃないか」というような不満や失望、落胆、怒りなどが、常に生じ、
そのようにネガティブに思う気持ちが、本来の願望よりも強く働いて、その通りの結果を、自分で引き寄せて招いてしまうことになる。それが、鏡の環なのだ。
ざっと、望まない現実化の理由を検討してみるだけでも、以上のようなことがある。
ビタリー博士は、それでもポジティブな示唆を投げかける。
それを、補足として取り上げたかった。
まず、
「あなたがやりたいこと、なりたいもの、欲しいものは、すべて宇宙に要求することが
できます。しかし、宇宙はそれ以上のものを喜んであなたに贈ってくれます。」
(前出「宇宙スイッチ」:p222より)
と述べ、その上で、
「あなたの願いの最後に、『これか、それ以上のもの』というフレーズを
付け加えてください。」
(前出「宇宙スイッチ」:p222より)
とまで、述べ、遠慮しなくていいと付け加えている。さらに、
「宇宙は、願望が実現する方向にあなたを連れていき、夢を手の届くところに置いて
くれるでしょう。」(前出「宇宙スイッチ」:p223より)
とも言う。だから宇宙に身を委ね、
決して、不平、不満、恐れや疑いなどを持つべきではないという。
そうした上で、逆説的にも、ある示唆を加える。もし仮に、
「望んでいることが起こらなかったとしても、それが自分にとってよかったことだと
信じることです。」(前出「宇宙スイッチ」:p223より)
と、強調する。
誰かの言葉にあって、そして、いま正確に思い出せないが(多分、ジョセフ・マーフィー博士のような気がしているが)、それでも、私たちは、不思議な力に良い方向へ、導かれているというようなメッセージが、私の心の中に染み込んでいて、いま想い出す。
ビタリー博士の言葉を喚起するとともに、その意味も噛み締めている。
少なくも、そうポジティブに考えて何か悪いことがあるだろうか…。
私は、ないと思っている。
☆ ☆ ☆
【フィリピン・夢見メモ】
私のフィリピンの彼女に、引き寄せの法則について、DVDなりを見せようとしたが、関心を持たなかった。彼女の信仰が厚いので、他の要素を受け入れないという固くなさがあるのだ。それでいいと私は思っている。なぜなら、彼女の信仰の福音書は、度々、「ザ・シークレット」のなかで、引用されているからだ。その引用されているものそれ自体が、引き寄せの法則そのもので、あえて、違う角度のものを受け入れさせようとするのは、ある意味、愚の骨頂だと感じるからだ。彼女は、彼女の信ずる信仰どおりにやればいい。私は、そう強く感じている。
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