夢見心地☆夢は、インデックスかも… ★0264

フィリピン-ピリピン

ある日こんな夢を見た。霊的な怖い夢だった。そういう夢は、まず見ないので、
目覚めて自身で驚いた。もちろん、きちんとした筋などない。
怖いといっても、私自身が夢の中で、怖いと感じただけなので、この意味不明な夢を
文章化し、またそれを読んで、怖いとは誰も思わないだろう。

とりあえず夢の印象だけは書いておこう。

なぜか、夢の中で、私が、どこかへ向かって歩いている。急ぎ足だ。
と、横を見ると、やや離れたところに、あのリングの「貞子」のような霊が歩いている。
ほぼ私に平行するように歩いている。方角的には、同じ方向だ。

私は、夢の中で、貞子の進む道と同じ道に足を踏み入れたら、
なぜか危ないと思った。
それを認識していると、誰かが、そばに居て、同じような意味の注意を私に促した。
それで、夢が終わり目が醒めた。

その夢を見た日より、ここ連日、夢を見たという記憶がある。
いまその内容を覚えていないが。
今朝の夢は、他界して20数年になる母と、やはり数年前に他界した兄が登場した。
夢の中に、兄が登場してきたのは、初めてのことだ。

私は、兄と酒を呑んでいた。私の家の中のようだ。
先ほどから、台所で賄いをしていた母の姿が見えないので、
兄が、私に言った。「お母さん、トイレか?」と、私は、ハッとした。
母の姿が見えなくなってから、かなりの時間が経っていることに気づいたからだ。

「まさか、トイレで倒れていないだろうか?」「それとも、近くに買い物だろうか…」
そんな考えを巡らしているあたりで、夢から醒めた。

なぜ、こんな夢のことを書いたか?

夢は、脳(あるいは潜在意識)の戯言のようなものではなく、しかも見ているものではないという指摘があるからだ。

それは、別次元にいる私が体験していることを、形而上学的な無限のシナリオのインデックスを覗き見た。YouTube的に言えば、Topページのサムネールを見てみたというレベルの意味で。私が私だと思っている現在の意識が、現実化(ローディング)するためにそこにフォーカスしていないため、物理的な私の世界に現実化されていないという意味だ。

私は、この指摘に、やや衝撃を受けた。この解釈は、私の感じ方だ。そして、そこにある意味納得している。

ヴァジム・ゼランド氏の著書「[願望実現の法則]リアリティ・トランサーフィン2」(ほおじろえいいち[監修] 須貝正浩[訳] 徳間書店)の「夢」についての解釈に強い影響を受けたのだ。

説明するのが、難しいが。
私なりの解釈が間違っているかもしれないので、ぜひご自身で、
本を手にして確認をお願いしたい。

固より簡単に言えないが、ならば大胆に言ってしまおう。

私たちは、この現実だけを唯一に生きているのではないということだ。

今を起点に、どのような可能性をも含んだパラレルな現実が無限にあるのだということが前提になっている。タイムラインでも、人生ラインでもいい。

私たちは、私たちの波動で、それぞれのラインが出している波動と同調するところを
様々に行き来している。つまり、

ポジティブな考えをしていれば、どんどんそのありがたい事ばかりが起きやすくなる人生ラインに滑り込んでいくし、ますます良いことが起きやすくなる。反対にネガティブな考えをし、
その波動に同調すれば、それに見合ったネガティブな波動の人生ラインに滑り込んでいくことになるというものだ。

その人生ラインなり、タイムラインは、潜在意識がコンタクトをとれる空間に存在し、現実化されていないか、あるいは今後、現実化されるかもしれない、または選択していれば現実化されるはずだったかもという様々なパターンの人生ラインが、私たちのいま体験している現実とともにすでに同時に存在しているという。

夢は、潜在意識レベルで、そのさまざまな人生ラインを彷徨うことだという。
非常に大雑把に言っている。
直接、前出の本で確認していただきたい。もっと高度で興味深い説明があるので。

ゼランド氏の記述によれば、
私が冒頭に書いた夢の話は、その無限にある人生ラインの中のたったひとつであるという意味になる。貞子の夢は、ストーリーがなく意味がよく分からないが、それでも、潜在意識の彷徨う空間の中に、現実化されないであるものらしい。母と兄が登場した夢は、私自身の実体験の現実にはなかったが、仮定としては、十分、あり得た話でもあり、私個人としては頷ける。

伏線がないと説明できないので、前置きが長くなってしまったが、

なぜ夢のことを、あえて書いたか?に戻ろう。

私たちは、思い込みに大きく左右されているということ
そのためにどうすればいいのかをテーマとしたかったからだ。

次のメッセージに注目してもらいたい。
ジム・ドノヴァン氏著作
  「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功の法則2」
      (ジム・ドノヴァン[著] 桜田 直美[訳] Discoverより)

  「人は人生で望む物事をすべて手に入れることができる。それを邪魔するものがあると
   すれば、それは自分についての思い込みであり、自分の能力と自分が住む世界に
   ついての思い込みだけだ。」

   (前出「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない
    成功の法則2」より引用)

という示唆に。

これについて考えたとき、深く考えれば、考えるほど、なるほどと思う実感とともに、

思い込みとどう向き合えばよいのかと思ったのだ。

その時、眠りの時に見る夢にヒントがあるのではと思ったのだ。
夢は、ある意味、現実化されていない多様な人生ラインの――普段、私たちが目にする
ことができないインデックスのようなものように思えたのだ。

夢こそは、可能性の宝庫が、すなわち潜在意識がコンタクトできる空間に、
無限に存在していることをさりげなく示しているその一端であること。

もちろん見る夢が、
すべて自分の望む理想の実現と何らかの意味で直接関連することは少ないと思うが。
それでも、ここに(潜在意識がコンタクトする空間に)人生ラインが無限に用意されており、
その多様な可能性をインデックスとして象徴的に示唆しているのだという意味に、私は解釈をしている。

思い込みこそは、多くの場合、やはりネガティブな感情のひとつだと私は思う。
これを払拭するためには、ポジティブな感情と置き換えをしていくしかないと思う。

ジム・ドノヴァン氏の言うように、
   「人は人生で望む物事をすべて手に入れることができる。」
   (前出「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない
    成功の法則2」より引用)

という。

ならば、その示唆を受けて、望む人生ラインに私たちの感情をシフトする。
そのことにより、潜在意識の受け止めが変わってくれば、
その波動に見合うより良い人生ラインの選択も可能になってくるはずだと。

そう思った。



★戻る | ★前日の記事を読む

★過去リンク
夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/

夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

タイトルとURLをコピーしました