夢見心地☆”捨てる”について ★20#0284

フィリピン-ピリピン

何かしらを強く、思い、念じることには、
自身の深い部分を十分に見つめそれなりの注意が必要なようだ。
つまり、何かを思う、念じるということ。そこには、
ある種の良くも悪くもストレスを生む。

そのストレスが原因となるとき、
自然の本源的なバランス感覚が均衡をもたらす働きのために、
作用・反作用を生じさせる。

その均衡の結果、用意される反作用は、思いに対して、
望む通りに対応した反作用であれば、大いなる喜びとなるが、
現実には、必ずしも、そうはならないことがある。

特に、ある思いに対して、自分で気づかないうちに、
真逆の感情があるような場合には、
ネガティブな状態を却って反作用として
現出させてしまう可能性がきわめて高くなるからだ。

ボブ・プロクターの著書「宇宙を見方にしてお金に愛される法則」
(ボブ・プロクター[著] 岩本貴久[監訳] きこ書房)の
≪第10の法則 捨てる≫には、「空白の法則」の紹介がある。

これは、冒頭にあげた、
やはり作用・反作用のバランスについて語ったものだと思う。
本の中では、ボブ氏の叔母の話として語られる。
叔母が”見るのも嫌だと言う”古めかしいカーテンについて例を挙げ。

それでいて、なぜか叔母は、
そのカーテンをいつまでも”捨てる”ことができないでいることに、
分析を加えている点が私の関心を惹きつけた。

ボブ氏は、その叔母に「いつまでもそのカーテンを下げているのは、
本心では(実は)愛着を持っているからだ。」と、愚痴る叔母にやさしく告げる。
そして、思い切ってそれを処分することを勧めた。結果、しばらくして、
叔母は、新しいカーテンをさげることができるようになった。

詳細は、当該著書を読んでいただきたいが、ここでは、
非常に大まかに要素のみを説明しておいた。

この話には、いろいろな示唆が含まれていると思っている。
特に、ボブ氏は、2つの点を強調している。
一番目は、これがもっとも重要な点だが、”捨てる”だ。

 「何かを手に入れるには、その前にまず何かを捨てなければならない。」
 (前出「宇宙を見方にしてお金に愛される法則」より引用)

という理念だ。これが、ボブ氏が言う「空白の法則」の概念で、
捨てることで、意図的に”空白という原因”をつくる事を指す。

その原因があると、

   「自然は空白を嫌う法則が働くため」
  (前出「宇宙を見方にしてお金に愛される法則」p269より引用)

その空白を埋め合わせようと、叔母は、お気に入りの新しいカーテンを、
結果、
取り付けることができた。

それまで、叔母に、カーテン取替えの躊躇があったのは、
代替の新しいカーテンがなかったこと。
または新しいカーテンを手に入れるための費用の捻出などの都合が、
足を引っ張っていたかのように、叔父は代弁していた。

確かにそれは、生計上の障害になっていたのは事実かもしれないが、
本源的な理由ではないと、ボブ氏は、見立てている。
すでに、指摘しているが、
それは、「(叔母の)古いカーテンへの愛着」が原因があるからだという。

この「古めかしいカーテンへの愛着」の分析が、
いろいろな示唆を含んでおり、学ぶべき点が多く興味深い。

そこで、さらに重要なもう一点は、

叔母の言葉からは、”見るのも嫌だ”と
言わせていた矛盾する心の「古めかしいカーテンへの愛着」だ。
”見るのも嫌だ”という感情は、すでにストレスを生み、それが原因で、
実は、さまざまなネガティブな状態を引き寄せる。

経済的な事情も、
回りまわって、巡って、その影響が僅かであっても、反映されていたことは違いない。
少なくも、ネガティブな感情が、
豊かさの心の状態を醸成する妨げには、なっていたはずである。

おそらく、叔母の感情としては、”見るのも嫌だ”ったはずが、
新しいカーテンを下げたいと願っていたはずだ。新しいカーテンがほしいと願うなら、
作用・反作用から言えば、何らかの形で、新しいカーテンを引き寄せるはずだった。

しかし、自分の心の深い部分に注意を払う必要があるというのは、この点にある。
”見るのも嫌だ”の気持ちの向こう側に、「古めかしいカーテンへの愛着」があり、
それが解決できていないために、
いつまでも新しいカーテンを引き寄せることができなかったのだ。

「古めかしいカーテンへの愛着」が、気づかないうちに過剰になり、
そのバランスが乱れ、
いつしか”見るのも嫌だ”で埋め合わせていたということになる。

”愛着”が”嫌悪”を生み、嫌悪が、過剰になって、さらに生活上に、
ネガティブな状態をさまざま中で形で作り出してしまっていたということだ。
ここで、私が言っていることは、多少、誇張はしているが、流れは、
そういうものをもたらすということが言いたかった。

このボブ氏の取り上げた話の例では、”捨てる”ということで、一応の決着を見た。
素晴らしい示唆だと私は、思う。
ある思いの本質を、十分に見つけ出し”捨てる”ということの重要性は、ボブ氏の話で、
よく理解できると思う。私は、捨てるときに、その代償として、

空白に埋めるものは、いま望んでいる良きイメージが必要だと強く感じている。
作用・反作用を健全に行うために。



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