夢見心地☆怖れ ★20#0315

フィリピン-ピリピン

まだ小学校に上がる前のことだ。そのころ、母に連れられて、よく私は近隣にあった映画館に行ったのを覚えている。かなり頻繁にあったように思う。しかし、そのときに観た映画の内容があまりにひどかった。おそらく邦画が低迷を始めた時期の頃だったのだろう。

なぜ映画館なのかというと、私の親戚に、当時、映画のフィルム缶を運搬する方がいて、その方の関連で、映画の無料入場券がよく手に入ったようだ。

その関連で、母は、私を伴って映画館に出向いたのだった。その映画は、すべて邦画ばかり。私の意志とは無関係に行かざるを得なかった。

今の洋画のように、シンプルなストーリー、SF、コメディやエンターテイメントに優れたものでは、決してなく、むしろ真逆の暗く、低予算のあまりに暗いものが多かった。中でも、兵隊もので、幽霊が出てくるという映画は、あえて書かないが、モノクロ映画で、「リング」どころでなく怨念ばかりのストーリーで、空恐ろしいものばかりだった。

批判力のまるでない幼い私が観るには、影響力が大きく、あまりにも怖すぎて、直視できていなかったように思う。そのときのある特別なシーンやカットは、
いまでも妙なリアリティをもって、私の心の深層に強く植えつけられて覚えている。

また、無料入場券なので、手に入るものは、当然、客を呼べないB級、C級以下のものばかりだった。

影響力という意味では、すでに先代で他界している歌舞伎役者が出演していた文学作品もので、退廃とエロ嗜好を題材にしていた映画も、観た記憶があり、それ以降、その歌舞伎役者ばかりでなく、その子孫の現役俳優まで、なぜか不快に感じており、一切好感が持てずにいる。そのくらい影響があるもなのだ。

私の例だけを言えば、
こうした幼児体験は、その後の意識に多大な影響を与えるということは、想像に難くない。

かつてTSUTAYAによく足を運んだが、オカルト的なタイトルのコーナーを通る度に、
いつも不快感や嫌悪感を抱く。
それは、成功法則の学びはじめた数年前から顕著になった。

その私もかつて大学時代、あるいはそれ以降の人生に起きた恵まれない一時期に、何度か、オカルト的、バイオレンス的な映画を、比較的好んで観た時期もあった。

いまそのTSUTAYAのコーナーにそうしたオカルト的なものの陳列を見ると、
どうしても避けたくなる。もちろん、怖いからではない。
ただならぬ邪気を感じる。不思議とその異様な圧力を感じるのだ。

もっとも、今後は一切、私は観ることはないが、そうした映画があることで、
エイブラハムの言うように「対比」の効果はあるのかもしれない。
望まないものを知ることで、望むものが分かるという意味で。

私は、以上にあげたオカルト的なあるいは霊的な”怖れ”よりも、もっと、深刻で異質な”怖れ”というものが人々の中に、少なくとも私の心深くに根付いているということを、かなり感じている。

オカルト的なあるいは霊的な”怖れ”は、突然、大きな声で”ワッ”と人を脅かすようなものに似ていて、
生活上で感じるさ漠然とした不安からくる”怖れ”は、非常に複雑で、ややこしい感情なのだ。

つまり、
望むものを阻み、自分では望んでいると錯覚を起こさせている一方で、実は、望まないものを望まされているという自覚だ。それは、目に見えない形で、突き詰めると、不安の姿に変えた”怖れ”という形で存在している。

私自身のことで恐縮だが、そうした複雑な私自身に巣食う”怖れ”を自覚し始めた。

そうした自覚を促してくれたものの一つに、
ジョー・ヴィタレー博士の「宇宙スィッチ」(住友 進[訳] サンマーク出版)がある。
≪第2章 ☆自分の中に眠る「天才」を解き放つ≫の小見出し
”あなたはまだ気づいていないかもしれない”の内容に注目している。

すべての人ではないかもしれないが、
   「自分が何を求めているか分からない」
     (前出「宇宙スィッチ」より引用)

という人がいると思う。
この感覚こそが、自身の”怖れ”を覆い隠す、実に巧妙なフィルターなのだ。と、私は思う。

ジョー・ヴィタレー博士も、「自分もその一人だった」と認めているが、率直に伝えてくれてありがたい。

なぜ、この問いを引き合いに出したのか。ジョー・ヴィタレー博士は、
こうした吐露をする人が彼の元に来るからだという。

ジョー・ヴィタレー博士は、影響を受けたロバート・アンソニー博士の話を引用している。

   「多くのベストセラーがあり、素晴らしいオーディオ・プログラム『積極思考を
    超えて』の作者であるロバート・アンソニー博士に『自分が何を求めているのか
    分からないという人にどんな忠告をしますか?』と尋ねると、『あなたは嘘を
    付いている、と答えます』ときっぱり言われました。」

     (前出「宇宙スィッチ」より引用)

という。それを受けて、さらに、

   「(アンソニー)博士の言うの通りです。
    あなたは自分が求めていることを、ほんとうは知っているのです。
    今だって、気づいているはずです。」

     (前出「宇宙スィッチ」より引用)

とヴィタレー博士の独自の示唆を私たちに振り向ける。

また、
   「内面のどこかに、まだ進んで認めることのできずにいる願望が潜んでいます。
    きちんと口に出していないだけです。」

     (前出「宇宙スィッチ」より引用)

と鋭く切り込んで、私たちの思いに促している。

こうした自分に制限をかけているある種の”怖れ”と向き合う意味でも、
ヴィタレー博士は、この「宇宙スィッチ」の本の中で、
絶対失敗しない成功を勝ち取るための5つのステップを紹介している。
その5つのステップの章タイトルを言うと、

   第1のステップ…「自分が望んでいないこと」は何かを知る
   第2のステップ…「自分が望んでいること」は何かを知る
   第3のステップ…「自分の意思」をはっきりさせる
   第4のステップ…「すでに望みはかなった」と感じる
   第5のステップ…宇宙にすべてをゆだねる

となっている。
詳細は、本(「宇宙スイッチ」)で確認していただくことをお勧めする。

その上で、ヴィタレー博士は、私たちにアドバイスをする。
「神のように考え」なさいと言う。

   「あなたが神をどのように考えるかは別にして、神が偉大な力を持ち、
    限界を知らない存在であることは認めてもらえるでしょう。
    神のように考えることができたなら、
    自分のために何をしますか?世の中のために何を望みますか。」

     (前出「宇宙スィッチ」より引用)

と。

私は、あくまでも個人的な意見だが、冒頭にあげた映画などで”怖い”ものを観たその記憶が、得たいの知れない、さまざまな不安や怖れを喚起させている一因になっているのではと思う。
遠因などではなく、悉くの様々な場面で、思わぬ不安や怖れを作り出すその投影の役割となっているのではと感じている。



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https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/

夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

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