マーフィー博士のメッセージの中に、”心の栄養”というのがある。
「マーフィー 世界一かんたんな自己実現法」
(ジョセフ・マーフィー著 富永佐知子[訳] きこ書房)
の中の一節で、
次のようなものだ。
「安らぎや愛情をおろそかにせず、美しいものや調和のとれたもので
心を満たしましょう。喜びや笑いも忘れてはいけません。すべて、
心の栄養になるものです。」
(前出「マーフィー 世界一かんたんな自己実現法」より引用)
とある。
この言葉に、私は、とても深い関心を寄せている。
本文の中に割りと唐突に述べられいる感がするのだが、それは日本語と英語の違いによる翻訳という限界なのか。それは別としても、これは、前出書で語られる信念の法則とも深い関わりを持つ言葉で、このことをずっと吟味したい思っている。
数日前、非常に些細ことだが、ちょっと不快な出来事があった。現代人のギスギスした心の一面を表すこんなことだ。
このブログで、数日前にも”ある不快なこと”を書いたが。その際は、あまり詳細を書かなかった。今回は、かなり事実のままに、有り体に書こうと思う。
そ内容とは、
電車のとあるホーム内で、私は、予定を変えて、一駅分の乗り越しをあえてした。
そして乗り越しの分の切符を清算していた。
その清算機は、狭い関係で、駅ホーム内通路の横にあった。小脇にあった。急いで帰りたいという気持ちがあったので、取り急ぎ、清算を終えて、
パッと通路に出たときだ。出会い頭で、4-50cm手前から通路を直進するサラリーマン風の男性とすれ違いざまにぶつかりそうになった。
どちらが、正しい、悪いではないと思う。どちらにも言い分はある。
もちろん、私は、まだ避けられたし、避けるだけの余裕はあった。だから身体を幾分反らしながら避けようとした。
ところが、その相手の男は、まるで「ドケッ!」と言わぬばかりに、しかも無言で、かなり強い力で、あからさまに「ドンッ!」と私を突き押した。私は、半分避けて態勢が不安定な格好だったので、私は、その分体勢を崩した。振り向いた時、相手は、3歩以上、向こうにいた。あまりの大胆な非礼さに、思いがけず唖然としてしまった。
相手は、こちらを一切、顧みることもなく、サッサと突き進んでいる。相手につき押しされたせいで、態勢が崩れてよろけたことは、相手も認識したはずだ。にもかかわらず、平然として去ろうとするその後ろ姿を見て、後ろからド突きたくなるほど怒りがこみ上げ、激しく”カッ”となった。だが、一生懸命堪えた。気持ちが何度も交錯する。
相手は、まだ少し前を平然と歩いている。
「許せない。」という気持ちと耐える気持ちで苦しんだ。いま思えば、
よく耐えたと思っている。馬鹿な反応をしなくてよかったと私の守護霊様に感謝だ。
私としては、
激しい憤怒の気持ちと、情緒を冷静に立て直そうという気持ちとのやり取りでいっぱいだった。
苦しむ気持ちの最中で、冷静に考えるように努めた。
非礼に対して平気な人物だから、ここで、争えば、ホームという場所柄、非常に危険だ。
すべてを読み切った。ひたすら冷静になるよう気持ちを抑えて、抑えて、抑えて、耐えた。
こんなことで争えば、どれほど人生を台無しにするか計り知れない。
成功法則の実践者の一人として、
私は、耐えたことにひたすら感謝した。そしてこの非礼な男のようなレベルに、
自分を貶めることにならずに済んだことを再び感謝した。
そして今何事もなかったことにも無事で居られることにも感謝した。こんなときこそ、
マーフィー博士的に言うなら、彼の悪態を許し彼の幸福を祈ることだろう。
それが、さらに自分を高めることになるからだ。
私は、このことから私自身も含めて、心の栄養が足りていないと、つくづく思い知らされた。
私自身がすぐに”カッ”と来てしまったことの至らなさを悔やむ。
こうした場面は、そこらじゅうで起きていることだろう。
そして、この人物のことで、それからしばらくの間、歩きながら感情を鎮めるため、
考えている自分に時間の無駄を感じ、心の整理をつけざるを得ないことに非常に残念な思いがした。
思い直さなければならないのは、天下国家でもない低レベルの、
恐ろしく安っぽいプライドの回復のために争えば支払う代償は想像以上に大きいかもしれないということだ。
法治国家であれば、なおらだ。
いま冷静に、自分を戒めることができることをとてもありがたいと思う。
なぜ、心の栄養が必要なのか。
それは、「信念の法則」と大いに関係が深いからだ。
大切なので、何度もおさらいするが、「信念の法則」とは、
「心の中で思ったり感じたりしていることは、いいものも悪いものも、
必ず実現します。」
(前出「マーフィー 世界一かんたんな自己実現法」より引用)
と言う法則で、突き詰めると、これは、作用・反作用のことだ。
心の栄養が足りず、乾いて、ギスギスしていれば、どうなるだろうか。
「信念の法則」にあてはめて考えるまでもなく、
行動のあらゆる面に悪意が満ちてくる。他者に対して、あるいは自分自身に向けても攻撃的になる。
心が豊かで、満たされていれば、その度合いに応じて、慈愛に満ちた魅力的な姿をすべての人に還元できるはずだ。それは、成功者としての風格に近づくことを意味する。
その心を豊かにするものが、心の栄養だ。
心の栄養について、
ジョン・マクドナルド氏も「マスターの教え」
(ジョン・マクドナルド著 山川紘矢・亜希子[訳] 飛鳥新社)の
≪第14章 体に栄養を与える言葉≫の章で、
「ここに非常にパワーのある言葉のリストがあります。これらの言葉は、
あなたの生命力に栄養を与えるだけでなく、あなたが人生で欲するものを
創り出すための内面的な作業を行う上で必要な力を与えてくれます。」
(前出「マスターの教え」より引用)
として、その言葉のリストが掲げられている。
その一部を紹介する。
「集中力。博愛。平和。無抵抗。平静。公平。一致。思慮深さ。好意。自由。
正直。指導。知恵。活動。親切。寛大。理解。生命力。……。」
(前出「マスターの教え」より引用)
などなど。リストでは、まだまだ多数続く。人生を前向きにさせてくれる言葉のリストだ。
こうした言葉を、夜寝る前のとてもリラックスしたときに、特に瞑想などを行い、唱えると良いという。この言葉のリストは、すべてでなくても、いま自分が必要としている言葉をいくつか選んで唱えても、あるいは付け足しても良いという。
一日30分以上は、自身と向き合い、心の深い部分を見つめながら、こうした言葉を自分に浸透させるべきだと述べている。
「これら、パワーのある言葉は、あなたが必要としてくれるものを発見し、
それを満たしてくれる手助けをしてくれます。」
(前出「マスターの教え」より引用)
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