まったく想定もしていない。あるいは望んでいない出来事は、私たちの身の回りに実に多く表出する。だが、その原因は、必ず私たちの心の内側に潜んでいたものだ。なぜなら、原因と結果は、絶対的なバランスを保っている。それが法則だから。
どちらか一方だけという例外はない。
そのことを突き詰めると、
これは、個人個人の受け止め方の違いなので、異論を唱える方もいるだろうが。
それで良いと思っているが。
だとして、あえて言う。必ずしも、現世だけにすべての原因があるとは、限らないということだ。この論法で考えれば、
過去も未来も区切りがないということになる。私は、この立場の良い面を生かすべきだと思っている。
その良い点というのは、「陰徳を積む」という考え方があって、私は、それは素晴らしい考え方だと思っている。そして、その思想を受け入れたいと思う立場だからだ。
R.W.トラインの言うように、私たちの生命の源が、一つのものであることを認識できれば、私たちは、すでに普遍的な存在であることを受け入れるということと同義だ。
普遍的であるということは、時間や空間は、固より超越しており、それを問題にすることすら意味がない。
その意味で、私たちの個としてのあり方は、常に普遍的な源を思う必要があると思っている。
原因と結果の作用は、その普遍的な世界の中で起きていることだと、私は理解している。
ならば、これまでの個としてのあり方を悔やんで振り返っても仕方がない。
ただし、陰徳を積むという考え方は、救いになるのだと思う。
明日に繋げる。未来に継ぐという意味で。
私は、成功法則を学ぶうちに、単なる現実主義的な考え方を控えるようになった。
何度かこのブログで、以前、取り上げたと思うが、マーク・フィッシャー氏は、著作「お金持ちになる人の心の法則」(橋本 美穂[訳] Discover)の中で、わずかな行だがページを割いて、モーツアルトの早熟についての例で、前世のことを語る人でもある。
マーク・フィッシャー氏の記述に、正直、当初の私は、はじめ少し消化仕切れないものが少し残ったが。必ずしも無視はしなかった。
その時点で、ちょっと理解しずらかったので、保留にしようと思ったのだ。なぜなら、素晴らしい彼の「成功の掟」シリーズの3部作を読んだ後のことだったので。すぐに拒否しなかったのかもしれない。
まずは受け止めて、自分の中で、ソレが溶けるのか溶けないか呑み込んでみたという感じだろうか。だが、私は、様々な成功法則を学ぶにつれて、スピリチュアルな自己というものについては、どうしても避けられないと思うようになった。
人が心に思うことの力とその神秘についてだ。
でなければ、「思いは、現実化する」などと言うことは、理解できるはずがない。
私たちの心の力を信じるならば、スピリチュアルな生命の源とその力について、理解をしなければいけないと言うことになる。
私たちの心の力は、認めても、それは、スピリチュアルな生命の源は関係ないとするなら、それはそもそもが論理矛盾だと思う。
なぜなら、心の力は、勝手に存在して、勝手に在るからではないからだ。
う…ん、何とも。申し訳ない。
ただ、まとまりなく、いまは、心の不思議を徒然に思う。
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