夢見心地☆バシリスクの疑問 ★20#0382

フィリピン-ピリピン

前回のブログ「夢見心地☆奇跡ではない ★20#0382」
( https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/4266/ )では、
水の上を走るバシリスクの話を書いた。 今日、私は、いま少しバシリスクのことをもう少し書いてみようと思った。というか、前回、欠落していた部分があったのだ。

バシリスク自身が抱いているささやかな疑問についてだ。

前回のブログで、私は、かつて、
映像制作で関わった小学館のドラえもんいきもの大探検―[21世紀こども百科ビデオ] の中で、バシリスクを見たと書いた。

既にお知らせしたように、
それは、バシリスクだけでなく、様々な生き物の生態の動画を紹介するもので。それらの素材を映像制作のプロデューサーと打合せし、再編集したものだった。
その再編集された映像を見ながらドラえもんとのび太が地球大探検の冒険の一つとして、不思議な生きものに出逢っていくというものだった。

内容はほとんど忘れてしまったが、
オープニングやエンディングでドラえもんとのび太の動画導入や締めくくりのアニメーションがある。

途中、不思議な生きものの動画映像にドラえもんとのび太が掛け合いで驚いたり感動したりするという、控えめに言えば、よくありがちなスタイルだった。

その動画中のバシリスクだが、私の中では、印象が深かった。
まさかその後、何年も経って、
こうして彼らの姿をこのブログで記述することになるとは思いもよらなかった。

それは、
森の中の水溜りの淵に居る映像だった。彼の身長は、どう見ても20センチ前後だ。
水溜まりの深さまではわからない。
彼の足元には、折れた木の枝や朽ちて散った葉などが、散乱し、水に浸かっている。
この小さな池ような水面は、木漏れ日の光を頼りに暗い森のシルエットを映している。

彼は、森の中で、一見したところ孤高の存在だ。
その彼がいま何を思うのか、おそらく外敵がいないことを確認し、
立ち上がって暗い森を見上げているのか…。

その間際。
ふと、何かを感じて。被りを2-3度振る。そして一心に、バタバタと水面の上を走り出した。
画面、左から、右によぎった格好だ。

正直言うが、世界最速のウサイン・ボルトのような合理的で、スマートな走りではない。
お世辞にも、褒めるところがまったく見当たらない。

ある意味、
日本でよく見かける、あのしょーもないがオッサンのようなバタ足の走りなのだから。
しかも、水の上を走るといっても、スタート直後は、半身水に潜っている。
いや沈んでいるのだ。なんとも情けない走りなのだ。

だが、意外に早い。

ボルトのように、後半ゴール直前で、力を抜かず走り抜け、向こう岸に渡る。
生真面目な性格のようだ。弓を居るような勝利パフォーマンスもない。

多分、やっと、走りきれた安堵感なのだろうか、あるいはテレなのか。何処かへ、消える。
その映像は、そこまでだった。

彼は、難なく水の上を走るといっても、それぞれ個体差はあるのだろう。
私の見た映像のバシリスクは、決してバシリスクに与えられた名誉ある謳い文句ほどに、
うまい走りだとは言えないようだった。

だが、それなりで必死で。懸命に走っているらしかった。
大きな水しぶきをあげていたことでも、それはわかる。

そこで私は、そのバシリスクの彼が抱く疑問について考えてみた。

彼は、水の上を走り抜けるということを、当たり前のこととして考えているのだろうと。
実は、この「当たり前」の信念が、私たちにとっては、
この物理的世界をコントロールする上でも、極めて重要なことなのだと思っている。

「え、溺れる?…何だって?アッシがですかい?!」
 とバシリスクが言う。続けて、
「ジョーダン言っちゃあ困るよ。アッシが…?
 何を言ってるだよダンナ。意味分かんねえーヨ!」と、

そう彼は、与太って言うだろう。
ほとんど学問らしい学問もせず。教養もなく。
ただの森の中の下森育ちだから。柄が悪いし、言葉も悪い。
顔つきも尖っている。まあ…、トカゲだからね。

水の上を走りきる。
確かに、それがうまくできる、できないは。
人間でも、絵を書くのがうまい、下手もいれば、
歌のうまい、下手がいるように、それはあってもいいだろう。
どう見ても、彼は、自分が下手だとは考えてはいないようだった。

というより、
スタート時に、思いの外、半身がやや水に潜っていたので。
それどころではなかったのだ。
決して、カメラ目線で、媚を売ることもなかったし。その余裕すらなかった。

ただ「あらら、やっちまったな…」と自らのブザマさを
自嘲気味にテレながら、舞台袖に消えたことはたしかだ。

そして彼がいつも優越感に思うことは、「オイラにはできるのに」
なんで、自分のできることが、他人にはできないのだろうと…いうことだった。

バシリスクは、自らの運命を当然のように、自らの存在には、疑問もなく受け入れている。
鳥もそうだ。
鳥は、あんな羽で空を飛んでいる。飛ばない、飛べない自分について考えたことがない。

かつて、人間は空を飛びたくて、羽をつけて飛んでみようとして失敗した。
私は、子どもの頃、スーパーマンを真似て、風呂敷を首に巻いて飛ぼうとしたが、
これは、まったく論外だった。「お前さんは、何がしたいんだい」と、
どこからか、声が聞こえる。

ただ、はっきり言えるのは、固く信念に思うことは、必ず現実化されるということだ。

バシリスクは、残念ながら、空を飛ぼうと考えたことがないのだ。
水の上を走ることだけで、充分だと考えたのだ。

鳥は、水の上をあえて走ろうと考えたことはない。
むしろ、その必要もなかったのだ。

私たちが、いろんな生きものの生態を見るとき、
どれほど、私たちの理性の学んだ智恵が、私たちの備えている能力を大いに、
阻み、絶望的に阻害してきたかについては、あまり考えが及ばない。

私たちの体験と経験則が、それは、私たちの心の深い部分で、
それを頑なに無理だと決めつけてきたからだ。

だが、様々な生きもの存在は、私たちの合理性に合わない、あるいは反してでも、
意外な側面を見せる。

例えば、昆虫などが、天井などを重力に逆らって、逆さになりながら、落下することもなく、
まったく無理なく走行している場面を見たことはないだろうか。
あれは、昆虫だからで、許されることなのだろうか。

だとするなら、その論拠は、何だろう。
必死に自らの握力で、天井に捕まっている?

少なくとも、私は、昆虫が汗を掻いて、
必死に天井を歩き回っているというところは見たことがない。
一方で、そうしたことを、
私たちは、単に種の能力の違いで、すべて当然のように片付けてきてしまっている。

私たちの思い込みとは「何か」を、いま問うときが来ているようにふと思うのだ。



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夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/

夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

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