夢見心地☆Solarisから引き摺る思いの果て ★20#0383

フィリピン-ピリピン

Solarisとは、以前、当ブログの「夢見心地☆心の海 ★20#0311」
(https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/3437/)の題材で、
扱わさせていただいた惑星ソラリスのことだ。

今回、また改めて記述するというのは、それだけ、私の心にインパクトを与えた作品だったからだ。あまりにも衝撃的だったのだ。

なぜならSolarisの映画は、米国映画のような膨大なスケールに巨額な製作費をかけたSFならではの醍醐味はほとんどなく、むしろ、その対極にある作品だといえる。SFとしての派手さはほとんどなく、特別なアクションもない。ただひたすら人間の内面を深く掘り下げた作品として最高峰の価値ある作品になっている。黒澤明監督も絶賛したという。

惑星ソラリスで起きる、私たちの潜在意識下の物質化現象という設定――
この設定、この物語には、私たちの意識世界のヒントの示唆が多く隠されている。
そこにこそ、Solarisの物語が私を捉えて離さない秘密がある。

全く、あえて根拠のないことを言おう。
だが、当たらず遠からずだと思っている。

Solarisの原作者、スタニスワフ・レムは、なぜ、こんな物語を生み出せたのだろう。

それについての私の意見が、単なる思考の偶然の産物でもなく、
著者のちょっとした思いつき(アイデア)や幻想でもなく、著者(スタニスワフ・レム氏)も気づかないレベルで、偶々、事実の一つの側面に触れたのではないかと思っている。

つまり、空想事(SF的)と一般に言われる、一見、荒唐無稽な考えやプランというのは、
実は、すべて目で見ることのできない場所でのあり得る事実なのではないかという思いがしている。

人間の意識にとっては、思いもよらない、あり得ない事は、固よりあり得ないので。
そもそも思い付かないのだ。思いつくことができないといっていい。

あえて、このような物語として、思い付くということは、その時点で、
思考は現実化するということにおいて、具現化される要素が可能性としてあり、
そしてあり得ることなのではないかと思う。

もっと言えば、

人間が意識的に考えたことは、ちょっとした偶発的なアイデアのように思えることも、
すべては、私たちの意識空間にすべてが用意されているもので。
すでにそこにあるという事なのだろうと思う。

にもかかわらず、なぜ、そのアイデアを不可能だとそう思うだろうか。

単に、あまりに未知な事であり過ぎて、私たち自身の意識(知識)レベルにおいて
理解不能なだけで、また、経験で分かったような気になってしまう錯覚もなく、
しかも、これまでの時点で、一度も、具現化されてもいないからのようだ。

無限にあるシナリオ空間(バリアントの空間)を受け入れ肯定するなら、
(=永遠に具現化もされない可能性もあるだろうが。)すべては同一空間上にあることを、
私たちの一部の天才的な人たちは、偶然それに触れて獲得してしまうのかもしれない。

ちょっとした例を考えてもらいたい。
私たちは、何も分かっちゃいないということをあえて例にしたい。

例えば、細胞分裂だ。学生時代にその授業を受けると思うが。。
私たちは、単純にそれらを顕微鏡や動画映像などで、観て理解し、なるほど細胞分裂か…と、
分かった気になっている。

それ以上に、突っ込んで、疑問には思わない。
しかし、何もわかっていないのだ。現象の一部を体験的に、観たに過ぎないのに。
分かったと錯覚するのだ。

つまり、一つのものが、50%、50%で、どんどん小さくなって、さらに、半分づつに分裂するのではなく、時間とともに、
100%ずつの大きさに成長もしながら、分裂を繰り返し、二乗で増えていく。

分裂は、”あるもの”が何かになろうとして、天文学的な数にさえなる。

もう一度言うが、なぜ、分裂し、増殖するかなどは、
何も分かっていない。

現象をただ説明する科学の学問だけがあるだけだ。こんな不思議なことが起きていても、
それは、顕微鏡や動画映像で、見て、納得したからOKで(=否。科学者たちの姿勢は、
全然、別だと思うが。)、とは言え、メカニズムが分かったところで、
なぜ、そこに細胞分裂する生命があるかを説明はできない。

しかし、私たちは、そうしたことは、目を瞑ってOKで、良しとして済ます。

いざ、未知のSF的な概念については、絵空事として、映画の領域程度で、
エンターテインメントとして、愉しむのみで、本気で、その具現化の可能性については、
さほど気にも止めはしない。それは、はっきり言うが、フェアーではない。

フェアーかどうかが、受け入れられなくても、私にとっては、
どうでもいい結構な話だが。

Solarisのような物語の世界が提示しているものは…、
つまり、私が問題にしたいのは、
この物理的現実の世界は、私たちの内面の意識が、3D的な環境下の鏡のような世界に、
仕立て直して、投影されたものだという思いを、私個人としては強く抱いたということだ。

それが、私たちの意識下で、概念で、
そう考える余地を残している限り、あるいは、そう描けるということは、
可能性として、バリアントの空間にすべてが有り、その秘密を解く鍵も用意されて
いるような、そんな気がしてならない。

…何か、恐ろしく散漫なことを述べているが。お許しを願いたい。



戻る | ★前日の記事を読む

★過去リンク
夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/

夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

タイトルとURLをコピーしました