OKYAKU(オキャク)とは、”招かざるお客”=”招くつもりのなかったお客”のことである。
通常の(=一般的な)意味だけに限定した”招かざるお客”のことではない。むしろ私自身の中で、特殊用語として用いたつもりでいる。
このOKYAKU(オキャク)の特殊用語は、
かつてのソ連体制下で制作された映画。アンドレイ・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」の中で、使用されていた言葉だ。私は、映画を観た当時、おもしろい表現だと思っていたが、すっかり忘れていた。
数日前に、インターネット上で、「お客」の文字を見出して、ふとそのことが思い出された。「あ、これだ!」と、私のいま感じている思いにピッタリする言葉として、今日のブログにこのことを記述してみようと思った。
この惑星ソラリスの内容については、
当ブログの”心の海”というタイトルで、
(https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/3437/)
で取り上げたことがある。
詳細は、そちらで確認を願いたい。簡単に”なぜOKYAKU(オキャク)”なのかを、理解するために非常に簡単に映画の内容を説明しておく。
映画は、謎の惑星ソラリスの探査を目的とした宇宙ステーション内の混乱を描いている。近未来の話だ。ステーション内の混乱とは、当初、船内には、地球から探査のためにやってきた乗員が3名いた。しかし、その船内には、やがて物質的存在の異形が現れるようになる。
その存在が、スタッフの混乱を生み出すという設定。幽霊でも幻想でもなく物質的存在として、意識も進化する存在だ。映画の結末の方で、その理由が明らかになる。惑星ソラリスは、惑星全体が巨大な叡智の海で覆われているということ、その物質的存在は、船内スタッフの心の深くに潜在的に根ざしくすぶり続けていた心の傷や思いなどが具現化されたものだった。
なぜ具現化されたのか。その物質的存在は、惑星ソラリスそのものががステーション内のスタッフと心の深みにコンタクトをとる手段として生み出されたらしいということが分かる設定だ。
主人公のクリスは、その混乱する宇宙ステーションの調査のため、後から、加わる。
そして、自らも十数年前に自殺した妻のハリスがそこに現れて、自らも混乱させらるという内だ。陰鬱で、どこか切ない3時間の超大作だ映画だ。途中の無重力シーンで、パイプオルガンによるバッハのコラールブレリュードの曲が綴られるが、とても幻想的で神聖を帯びた曲調が映画の深みを演出しており、心の深みとは何かを考えさせられる。
大変に示唆に富んだ映画で、いまもなお、この映画の表現力の凄みを感じている。
この映画のシーンの中で登場してくる物質的存在を、宇宙ステーションのスタッフは、OKYAKU(オキャク)と呼んだ。
スタッフにとっては、望んでいない。望まないものが、物質的存在としてそこに現れ、抹消しても、抹消しても、何度でも現れるその存在に、あきらめの気持ちと皮肉を込めて、OKYAKU(オキャク)と呼んだのだ。
私は、このOKYAKU(オキャク)という言葉を、私なりに、あえて使ってみようと思うようになった。それは、ここ数日の出来事の確信から生じたものであり。
それぞれは、直接的な関係はなくても、”すべては、同じ”だとするバシャールの教えの影響もあって。
パラレル・ワールドやタイムラインの考え方の延長線でもあると思っている。
この数行は、何を言っているか分からないかもしれないが、いま意味が分からなくても、うっちゃといて、何かそんなことらしいと思ってほしい。それで十分だ。
確信のひとつは、シンクロにシティだ。
私は、このことをよく知らない。ただ奇妙な一致の体験は、
何度なく体験しているのだ。
このブログを書くにあたって、シンクロにシティについては、
”意味のある偶然の一致”とユングが定義しているようだが。
私の場合、その定義がすぐに当て嵌まるかどうかは、疑問に感じている…。
私の住んでいる街の大型有名スーパーの店舗内あるいは付近で、それはよく起こる。
一人は、女性で、もう一人は男性だ。
何の際立った特徴もない。それぞれの男女と、何度も奇妙な一致=出会いを体験する。私は、定時というのが嫌いで、かなりランダムな時間にスーパーを利用している。
ある時から、その男女、それぞれに、別々だが、よく出会うのだ。もちろん、挨拶はしない。まったく知り合いでも、何でもないから。しかし、通常より、大幅に時間をずらしていても、
「何でこの時間に会うんだよ。」と、大幅に早い時もあれば、大幅に遅い時間でも。会うのだ。
だから、私は、このそれぞれの男女のことを覚えてしまった。
相手は、どう思っているか知らないが、私の印象では、何も気にも止めていないように思う。
まったくの無表情を装っている。
昨日も、その前日も、そのまた前日も、連続して、その男性には、出会った。
すべて時間帯は、同じではないのにだ。しかもマクドナルドのカウンターで。2日連続してだ。
先の女性は、しばらく見かけていないが、ある日驚いた。以前は、そのスーパーのみならず、私が全く想定していないスーパーからは大きく離れた場所でも、何度か出会ったこと。さらに、
その女性は、私の住んでいる集合住宅の別の棟の住人らしいことが分かったことだ。
もっと、驚いたシンクロニシティは、私の20代の半ばに及ぶ。ちょっとしたことで、リハビリを兼ねて、半年ほど入院したときだ。私の隣の大部屋で、何かしら騒がしく面倒くさいオヤジがいた。腰にコルセットをして、歩き回るどこか目立つオヤジで、たいした用事も無いのに、看護士にやたら声を掛けていた。私は、その人物が、落ち着きが無く、鬱陶しくて嫌いだった。
病院の廊下や洗面所などで、出会うのも嫌だった。やがて各々が、別々に退院して、数年、いや10年前後経ったある日だ、なんと、私の隣の部屋に引っ越して来たのだ。ビックリした。唖然とした。
それからというもの、私の時間に一切関係無しに、いろんなところで、その存在自体がやたら面倒くさいオヤジが、自転車に乗っている場面とよく遭遇した。その後、2-3年前後、私の隣の部屋にいたが、しばらくして、亡くなったらしいことを知る。
さらに、まもなくしてその男の連れ合いも、引っ越していなくなった。ただ、それでけでは、終わらずその面倒くさいオヤジは、しばらくして、私の部屋に刑事を送ってきたのだ。そのオヤジ夫婦の事で訊きたいという。私は、付き合いが無かったので、全く知らないとだけ告げたが。どこまでも、騒がしく面倒くさいオヤジだなとつくづく思わされた瞬間だった。
この人物たちの話をして、
私の想定より、どこかつまらない話になってしまったが、私は、思う。
これら私にとって、一見、意味も無く無関係な。しかし頻繁に出会う人物は、
必ず、何か意味があるのだろうと思うことだった。
読み解けないだけだ。
いま直接、意味が分からないが。
私は、この人物たちは、私自身の中では、”招かざるお客”=”招くつもりのなかったお客”= OKYAKU(オキャク)だと思っている。という以上は、惑星ソラリスの例を出しているように、潜在意識の深い部分で、何か関連があるのだろうと思っている。
ただ気づきもある。それは、引き寄せの法則が働いているという事実だ。
この現象は、それを物語っているように思う。
では、なぜOKYAKU(オキャク)を呼ぶのか。
私自身に問題があると感じている。私自身が、望むべきものを、十分に、
望み切れていないことのために、生じているのではないかということ。つまり、
引き寄せの法則が作用しているのに、フォーカスがあいまいで不十分なため、引き寄せのパワーの力の漏れが、生じて、何らか余分なものを引き寄せているのだろうと思うことだ。
このことは、シンクロニシティの意味を語っているのではないので、勘違いしないでいただきたい。私の場合について述べているだけだ。
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