このブログを書くほんの少し前まで、実は、情緒が不安定だった。少し、大げさな言い方をさせていただいているが…。
説明するなら、気持ちが作用として働くスピードと現実のスピードが、どうにもチグハグで、
マッチしないイライラした感じの中にいた。
何が”どう”ではなく、
ただリズムが合わないという感じを受け、理由も分からず焦燥感を抱いていた。
そして、
その理由を考えてみたとき、
すぐにあることがその原因になっているのだろうと気づいたので、
それを筆記してみたい。
☆ ☆ ☆
私の現実は、無限にある私自身のためのバージョン(人生ライン=無限にある宇宙的なシナリオ)の中から、私の思いの波動に同調した世界を自ら創出しているのだということを納得しつつある。
波動に同調したというのは、
結果的には、無意識に「選択」したものということだろう。
私は、いま置かれている状況に対して、望む現実とのギャップに人並みに苦しんでいる。
そのことをあからさまに言えば、
私のいまの人生のテーマは、ここ数年ずっと一緒で、
「お金が足りない」「お金が不足している」という状況にある。
そして頑張れば、なんとかなるのだと、成功法則の学びを行うまでは、
そう考えていた。それは、基本的には、間違いで。いまは、違う考えだ。
結論を言えば、
頑張らなくていい。頑張ることなどに意味はない。
私の人生のテーマ「お金が足りない」という現実、その状態は、
私にあえて課せられた人生のミッションなのだと感じ始めている。
なぜなら、
いつもお金が足りないという問題が起きて、
そして、どうにかこうにか。短日でなんとか乗り越えてきた。
もうここ何年もそうだ。
なのに、くり返し、くり返しそうなのだ。
そして、すぐに、象徴的に言えば、明日にも、再び新たな装いで、
これでもか…と、また「お金が足りない」という現実を突きつけられることになっている。
まるで、わざとのように。私を試すように。
あるいは、何か別な意図を気付かせるために…?
ここでは、まるで、わざとのようにが一番近いニュアンスに感じている。
私が、いくら鈍感でも、何かおかしい…と、
さすがに気づく。
すべては、外側に請求書のヤマがあるのが原因ではなく、
仮に、現象としては、そう見えたとしても。
因果は、すべて私自身の中にあって、つまり、請求書のヤマをこしらえ創っている原因は、私の内部にあるのだいうことを知った。と言って、誓ってもいいが、私は、決して浪費家などではない。むしろ惨めなほど、倹しい生活をしている。実は、それも、貧しさから抜けられない原因の一つでもあるのだが。
こうしたことの中で、
ようやく気づいたことがある。
それは、私の置かれている望ましくない現実というのは、
私自身の思いの果実(人生ライン)を自ら、選んで、無意識に摘み取った結果
なのだということだ。
もちろん、誰でもそうだろうと思うが、この物理的現実を生き抜く上では、
あえて好んで、貧しさなどを望むことはないだろうし、私自身も選んだつもりなど微塵もない。なので、まるで、わざとのように…という感じが自ずからしてくるのだ。
「冗談じゃない!」と大声で言いたい。
それでも、長きにわたって現実がそうだということは、
確実に、無意識のうちに、わざわざそれを選んでいるのだ。
それが、現実化しただけに過ぎないと思わされる。
そして、いまようやく。
それを望んでいたのだということに気づき始めてきた。
しかも、なんと有難いことに、そんなことが頑な信念にさえ
なっていることがわかってきた。
率直に言って、私自身の思いの原因について――貧しさを生み出し、お金が足りていないという現実を招いている大元の考え方の源については、私自身突き止められていない。
幼年時代、少年時代に培った貧しさという記憶のせいなのか、その後のお金に対する不足へのどこかで抱いた恐れなのか。そこは、まだまだ、私自身、自分を見つめなくてはならないようだ。
ただ、一つだけ救いがあることだけは、書いておきたい。
貧しさを選択したということは、別の選択をすればいいということだ。
私は、昨日、
津留晃一氏のホームページの公開されているメッセージ集
http://www1.ttcn.ne.jp/turu/29sikounomekanizumu.htm
《思考のメカニズム》を読ませていただいた。
その中の、
「欲しくない現実を渡された時、即座にその不快感の中で静かに座り
『この現実を招き寄せた私の源にある考え方はなんでしょうか』」と
問いかけてください。」
(津留晃一氏のメッセージ集 《思考のメカニズム》より引用)
という示唆がある。
それに注目して、私なりに実践してみた。
津留さんの言うメッセージの実践の仕方とは、
たとえば、
前述の問いを、自らの心に問いかけてしてみることだという。
しかし、
答えを求めてはならないという。
ただ、そう内部の心に問うことにより、その望まない現実への思いに光があたる。そして、
いま起きている問題は消えていくという示唆をしている。その導きをしてくれるというのだ。
私は、津留さんの言葉を信じている。
昨日、実践してみた。
寝る前に、自分自身の抱えている問題に、前述したように問いかけて、
ホ・オポノポノを含めた癒しを行ったのだ。眠りに落ちるまで続けてみた。
…朝になった。
冒頭、私が、”今朝、情緒が不安定だった”と書いたが。
その理由は、確実に何らかの効果が出てきた現れなのではと思った。
考え方を変えた問いかけにより、
信念とまで化した「貧しさへの思い」が足元から、
やや、ゆらいだのではないだろうか…と。
まだ完全に、崩壊まではしていないが、
そのバランスのゆらぎにより一時的に不安定になった。
すべては、そのせいだろうと、ふと思っている。
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