心配事というのは、心を乱すものだ。
先日のことだが、ちょっとした件で、心が乱れた。
自分は、「まだ、まだ。まだだな…」と思い、努めて冷静になるよう心がけた。
しかし、読みたいと思っていた本は、まったく読めなかった。
内容が難しいということもあるが。また
ここ数日、続いていた睡眠不足もあったのかもしれない。本を手にするが、心配事の雲が取れず、また眠気にも勝てなかった。
深夜まで、グズグズとどうすべきか当惑していた。
こんなときは、私は諦めが早い。「ケ・セラ・セラ」だ。
いつもより若干早く寝ることにした。それでも、すでに2時を回っていた。
そして、あっという間に、朝だった。
というより、夢を見て、夢のせいで眼が覚めた。
CMのフリーのディレクターとして、仕事をしていた時代のかなり昔の夢だった。
フリーの立場とは、文字通り保障も何もない仕事があってのフリーなのだ。
そんなフリーとしてやっていた頃の夢だった。
フリーは、常として、仕事の発注者から呼ばれれば、
どこの誰とでも仕事をする。正しく言えば、
それでもわがままを言わずさせていただきたいというレベルのものだ。
良いも、悪いもない。
まずは仕事があってこそのナンボの世界だ。
夢の中のその仕事は、初めて依頼を受けた人たちとのCM撮影の仕事の夢だった。
当然知らないスタッフばかり。
現実的には、普通、撮影までに、打ち合わせを数回重ねるが、
夢は、夢だ。
すべてが都合よく省略されて、いきなり撮影の現場だった。
30秒、15秒のCMを創る設定の夢だった。
撮影は、4カットだけ撮って終わった。夢の中だったので、どんなシーンだったか覚えていないが。商品撮りを含め無事に終わって。…。
夢はさらに、デジタル処理するVIDEO編集室のシーンに変わっている。
そこで私は焦った。
「え!30秒?も創るだって…(創る)のか…?!」と、
そこで、当惑した。
なぜ焦ったのか。理由は簡単だ。4カットでは、”画”が足りない。
つまり尺(秒数)が足りない。CMの狙いと内容によるが、
ハイスピードの1カットCMなら別だが。
通常、不要になることがあっても、秒数の関係で、エキストラカットも撮るものだ。
もちろん、演出家によるが。
あるいは演出上の秒割りコンテといって、
クライアント(広告主・宣伝担当)に企画段階で説明している以上のシーンを撮るものだ。
万が一の、OKが出なかった場合の(リテイク)に備えるのだ。
単純にいうと、演出上のシーンを抜きにしても、15秒のCMでも、5カット以上は撮影する
のが、普通だ。
仕事をしてみると分かるが、CMは使える1カット、1カットの秒数が短い。
たった15秒が、編集してみると、1分にも2分にも感じることは、よくあることだ。
その逆を感じることも、当然ある。
画が納まらないという事態だ。こちらは、捨てカットすれば良いが。
逆に15秒という秒数が、極端に短いと感じる瞬間だ。
なぜそう感じるかというと、
TV番組などの撮影と異なり、場面のエッセンスが凝縮されているからなのだ。
夢のシーンに戻ろう。
私は、編集室で焦っていた。撮影したシーンでは、30秒どころか、
15秒だって構成するのは厳しいと。そう感じ、冷や汗が出ていた。
「まずい、乗り切れるだろうか…」と。「撮影したシーンを吟味する」しかし、
秒数的に厳しいという直感を持つ。一方で、夢の中で、
「道理で、仕事をくれたプロデューサーも、なぜか冷ややかだな」と感じていた。
「どう考えても、画(尺)が足りないと、彼らも感じているのだ」と…。
「やばい…!」
夢の中の焦りが、いよいよ頂点に達した時、眼が醒めた。6時30分を回ったところだった。
4時間程度しか寝ていなかった。
「夢で、良かった…」と、ふと思う。「いやな夢だったな…」とも。
現実には、こんなことは、一度もなかったし、仕事が多かった時には、
そんな夢すら見たことがないのに。今になって、こんな夢を見るのは、なんとも皮肉な話だ。
布団の中で、鬱々としながら、そんなことも考えていた。
だが、私は、この夢を見たことを、やはり心配事のせいだなと思った。
ふと、窓を見ると、外が明るい。今日は、久しぶりの天気ようだ。
そして、ひとつの割り切りをつける方向に気持ちが傾いた。
この割り切り(選択)をつけたことで、
前途は、何も解決していないが、何とかなるような気がしていた。
きっと、なんとかなるさと…。
こんな夢と現(うつつ)の中で、私の朝が開けた。
気持ちは晴れていた。
だが、ひとつの取り組みの前に、このブログを仕上げたかった。
これからする電話の相手の対応次第で、嫌な気分になることも予想され、
その状態で、このブログを書くことは、おそらくできないと思ったからだ。
いま、いい気分のうちに、このブログを書いておきたかった。
そこで思ったのが、この夢の話と、心配事の件だった。
たまたま手に取った本を開くと、いきなり、
”29 心配事のほとんどは現実にはならない”だった。
「これは、幸先がいいな…」とも、ふと思う。
ジェフ・ケラー著作「夢をかなえる人生のガイドブック」
(弓場隆[訳] =SoftBankCreative)の小見出しだった。
この数年、夢らしい、夢など見た記憶がないのに、
そのとき見た夢は、しっかり夢だなと感じさせていただいた。そして、私の見た夢は、あきらかに私の心配事を反映した夢だな…と、感じている。
でも、気分は、上々だ。
おそらく、この夢が、私の潜在意識に、解決を求めたのかもしれない。
そしてその答えが、夢その後の、うつつの考えの中で、割り切りとして現れた。そんな感じだ。
この気分こそが、潜在意識の答えなのだと思った。気づいた。
ジェフ・ケラー氏の前出当該ページには、
「心配は益より害のほうが大きい。」「心配をしても状況を改善することはできない。」
という。その上で、ジェフ氏は、
心配事にとらわれない7つの方法=テクニックを紹介している。
1 心配事と闘わない
2 心配は自分の選択であることに気づく
3 心をきれいにする
4 建設的な行動をとる
5 深呼吸をする
6 メディアとの接触を減らす
7 もっと気楽になる
私が、注目したのは、
「1 心配事と闘わない」と「2 心配は自分の選択であることに気づく」の2点だ。
なぜ、この2点に注目するのか。
「現実は、観念を映し出す物理的現象」「物質次元のことは、心の反映」だとする考えに立っているからだ。心配事というのは、負のエネルギーだ。これを物質的な次元で考えたとき、闘っても勝てないと感じた。事実、ジェフ氏も次のように言う。
「心配事と闘えば、最後には心配事が勝つ。
『抵抗すれば、それは長引く』という古い格言のとおりだ。」
(前出「夢をかなえる人生のガイドブック」より引用)
と、
さらに続けて、
「あなたは自分に対して『心配してはいけない』『心配事はやめるべきだ』と
言ったことはないだろうか?そうすることで、あなたは落ち着いただろうか?
答えは、ノーだ。心配事に抵抗すれば、それは長引いたはずだ。」
(前出「夢をかなえる人生のガイドブック」より引用)
と示唆する。抵抗とは、心配事について、フォーカスし、心配事を考えることをさす。
心配事は負のエネルギーだといったが。
そのことが、心配事に力を与えていることにつながるのだ。
「2 心配は自分の選択であることに気づく」では、私が最も関心を強く持っている。
”選択”について、ジェフ氏が言う。
「他に選択肢があるのに、なぜ心配することを選ぶ必要があるのか?」
(前出「夢をかなえる人生のガイドブック」より引用)
である。
この本の前述した小見出しを思い出してほしい。
”29 心配事のほとんどは現実にはならない”だ。
フォーカスしつづけなければ、心配事は、現実化しない。物質化されないのだ。
本来、そういうものだ。
心配し続けたところで問題が解決しないことを、
実は、私たちは、十分過ぎるほど、知っている。
習慣で、心配しているだけだ。
心配するという習慣で、物事が解決しないのであれば、私たちは、経験で知り抜いているなら、
逆転の発想で、物事見たほうが良いかもしれない。それが、即解決にはならなくても、
明るいほうへ、フォーカスすることだ。
私は、言いにくかったが、それでも布団の中で、「幸せだな…、ありがうございます。感謝しています」と、数回、言い切った。その後、気分は、とりあえず明るい。
このブログも何とか書き終えた。
そして、この気分のまま、
望まない相手に、これから電話するつもりだ。
きっと、展望が明るいほうに開けていると信じて。
★戻る | ★前日の記事を読む
★過去リンク
夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/
夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/