「信じるとは」ということについて、日々考えている。一日のうちで圧倒的に多く考えている。
簡単なことなのに、もっとも難しいことだからだ。
いまこの”簡単なことなのに、もっとも難しいことだからだ。”
と書いた後で、この文章を読み返して、思わず苦笑した。
ひどい自己矛盾な文章だなと思ったからだ。
つまり、それは、どこか自分自身の思いの仕方に滑稽さが付きまとっているからなのだろう。
もっといえば、信じることが人として〔善〕であるとするなら、その信じることをしていないという自分に気づいているということだろう。
ただひとつ確実に言えることは、その難しさ故に、
だからこそ、
イエスの教えも人々に信じることを求めたのかもしれない。
「信じること」の意味を考えているうちに、
私なりに気づきを得たのは、
「信じることと潜在意識の働きの結果を得ることは表裏一体をなしているものだ。」と理解したことだ。
あるいは「潜在意識の働きの結果を確信することである。」とそう思えるようになった。
物事が達成されたり、願いがかなうということは、
信じたということの確かな「証」でもあるのだ。
ジョセフ・マーフィー著の「あなたも金持ちになれる」(和田次郎[訳] 産業能率大学出版部刊)の中に、私がワクワクするほどの興奮する重要なメッセージがあって、それを伝え切れていなかったので、本日、それを記述させていただく。
≪第1章 あなたの中の無限の宝庫≫ ”この章の要約”からの引用だ。
「すべての事柄は因果の法則に従って起こります。神の富を信じなさい。
そうすればあなたはその富を受け取ります。あなたがそれを信じるときに、
それはあなたにもたされるのです。」
(前出「あなたも金持ちになれる」より引用)
とあること。
つまり、
神の富を信じるとは、
〔豊かさ・富裕の意識〕を持つことに他ならない。
それを 因(原因=思う・考える)とするなら、
果(結果=現実化する)ということだ。
私は、この公式を受け入れている。信じたところで、損はないのだ。
原因と結果(因果の法則)は、物理法則であるが、
精神の世界でもこの法則は、当てはまる。
精神の世界は、この物理法則から決して例外ではないのだ。
事実、私たちは、精神世界の具象化・具体化されたものの中で生活している。
もっと端的に言えば、この世界は、
すべての人の手によって発明されたもの=人が考えたものの
その工作物の中で生活しているということだ。
建物や工作機械、コンピュータ、調度品、家庭用品、家電、文房具、農産物の豊富な再生産、企画。などなど、私たちをとりまく生活必需品で利用しているものなんでもすべてだ。
それは、自然発生的にどこからか、勝手に生まれてきたものではなく、
人が考え(因=原因)、その結果(果)発明されたのだ。
まさしく、物理法則が、実は、いや、あるいは、むしろ精神の世界のものなのだ。
マーフィー博士は、豊かになりたければ、上記した公式に当てはめて、
〔因=原因〕の部分を作りなさいと、次の例をあげている。
「無限の富が私の生活をじゅうぶんに満たしてくれる。
天の富には、常に余剰がある。」
(前出「あなたも金持ちになれる」より引用)
を唱えなさいという。
〔果=結果〕については、
その確信(信じること)の度合いに応じて現れてくるということだ。
また、私たちは、目に見えない世界についての考えや思いは、すぐに心が折れやすくなるので、
その場合は、次のように
「私は、永遠の宝庫と一体である。必要なものはすべてただちに満たされる。」
(前出「あなたも金持ちになれる」より引用)
と、
悲観的な気分に陥りそうになった時は、
この言葉を何度も何度も繰り返すと良いと伝えている。
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