「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)
に登場するコメンテータの一人に、ボブ・ドイル氏がいる。
前出書を手にして、ランダムに開いたとき、頻繁に彼の言葉が目に入るので、
今日あえて、この方のメッセージを引き合いに出してみたい。
その前に、ボブ氏は、前出書の巻末紹介によると、
「The Wealth Beyond Reason(理屈を超えた富)プログラムの創設者で
トレーナーです。」
(「ザ・シークレット」ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳]
角川書店:p304より引用)
と、ある。
私は、思わず「理屈を超えた富…か。」と、「なるほど…ね」と思った。
恐らく私が思う以上の広義な意味を含んでいるのだろう。
私がどう思っていたかは、
感覚的な部分なので、ちょっと説明し難いが、
そこをなるべく説明するなら、
次に紹介するボブ氏の言葉のニュアンスと、
この巻末紹介の”理屈を超えた富”の言葉に、妙に感応しているということ。
私が思う以上の部分の”私レベルで思う”という部分が、
共鳴したという感じといえばいいか。
ボブ氏の本文中の言葉とは、
「朝、目が覚めたら、それが現実化しているかもしれません。あるいは、
次の行動についてのインスピレーションが湧くかもしれません。」
(「ザ・シークレット」ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳]
角川書店:p94より引用)
と、あることだ。
特に、「朝、目が覚めたら、それが現実化しているかもしれません。」という言葉に、
最も私は、反応する。
これは、私の受けとめでは、
さりげなくパラレルシフトの世界への移行を表現しているメッセージなのだ。
ボブ氏がどこまでそれを意識して述べているのかまでは分からないが。
少なくも、ボブ氏の世界観の中に、突如、現実化は起きるのだという認識は、メンタリティとして持っているというメッセージではあるのだ。
「朝、目が覚めたら、それが現実化しているかもしれません。」というメッセージに反発し、
「そんなバカな」と思う人は多いだろう。
としても、
実は、私たちの意識の外側の世界では、いろんなことが起きている。
それらは、私たちの抱く意識と全く無関係に見えても、いや無関係に決まっているじゃないかと、思っていようとも、それは、決して無関係じゃない。
すべて、私たちの意識全体が物理的世界に関わり創造しているからなのだ。
そのことに、
充分な理解を及ぼせるようになるのは、なかなか難しい。
なぜなら、
私たちは、もっとも楽な方法で、無意識に日常を引き継いでいるからだ。
それは、私たちの髪が、勝手に伸びたり、自動的に、皮膚の細胞のことごとくが新陳代謝し、
入れ替わっているように。
私たちがこうしようと意識せずとも、すべてが自動的に、引き継がれている。それとほぼ同様にだ。
少しでも、パラレル・シフトな思考を理解し始めるようになると、
私たちは今この瞬間、その前の瞬間の現実を、実は引き継ぐ必要がないという理屈について、
一定の程度で理解できるようになる。
そして、もし”今ここ”の、この瞬間に真にクリアになることができれば、
実は私たちは無限のパワーを受け、
より望ましいリアリティを具現化して体現できるようになるらしい。
たとえパラレル・シフトな思考を理解しようが、しまいが、私たちの意識レベルに関係なく、
現実には、無意識のうちに、どの瞬間、どの瞬間にも、パラレルなシフトを体現している。
ただし前述しているように無意識が直前の物理的現実の定義を引き継いでいるため、
何がどう変わったかを、ほとんど認識できないので、目に見えない世界のパラレル・シフトの概念を理解するのは、制限付きの理性にとっては容易ではなくかなり難しい。
話がどんどん複雑化しているので、
引き戻したい。
この「朝、目が覚めたら、それが現実化しているかもしれません。」とは、
その現実化したものの内容によって、一般的には、
「運がいい。」とか「運が悪い」などと判断するかもしれないが、
それらは、すべて
私たちの何らかの形で意識したものが、具現化したものだ。
現実化されたもののサプライズを、
「運がいい。」に変えるためには、無意識の惰性に流されず、
意識して、望む現実の姿を意図し「選択する」必要があるようだ。