夢見心地☆無意識の指図 ★19#0147

枯れ枝 フィリピン-ピリピン

私は、嫌いで、苦手だ。犬好きの皆さんには、申し訳ないが、
犬嫌いになったのには、きちんとした理由がある。
そのことをきちんと説明しておこう。

なぜ、犬が嫌いなのか。理由は、きわめて明快だ。

犬が怖いのだ。正確に言えば、
少年時代に左手を噛まれて、それ以来、
噛まれたという記憶の恐怖心が絶えずあり怯えるのだ。

犬好きの飼い主には、おそらくそうした想像力に乏しく、
全くわからないで。
単に、犬好き次元でモノを考えているように見える。

ところが、
犬に噛まれ、犬嫌いになったものには、かなり緊張感があり、
深刻な問題であることには配慮できないようだ。

私の住んでいる集合住宅には、座敷犬等を飼っている人が僅かにいる。
本来、動物、家禽類は禁止されているのにも関わらずだ。

といって、
私は、基本的には、そこを突いて、やかましいことを言うつもりはない。
黙っている。
だが、彼らのマナーが悪いのだ。

ほぼ10年くらい前に、こんなことがあった。

私が共用の廊下を歩いていると、私を見かけたわずか30cm程の毛むくじゃらな座敷犬2匹が、
キャンキャン吠えながら攻撃的に走り寄ってきたとき、私は、小さな子どものように怯えたことがあった。犬の大きさは、怖いという感情とは別物のようなのだ。

私は、大柄で体格のいい方だが、それでも、情けなく「ヒェッ~!」と言って、
声を挙げた。その場で、さすがに、そんな自分に気づいて恥ずかしくなったほどだ。

無意識というものは、意思に反して、時に、恐怖の反応するのだ。

その時、
飼い主の女性は、何をそんなにビクビクしているのとばかり、
悪びれず半笑いで、「私に、すいません。」と一言。犬の名を読んでいる。

抱きかかえようと近づき、呼びかけているが、
2匹の犬は、まったく飼い主を無視して、怖がっている私に必要以上に興味を持ち、
面白がっている。

私の周りを幾度も遠巻きにしたり、近づいたりを繰り返しながら、
吠えて、グルグル回っている。

私は、すぐに怖さが引いてやや落ち着くと、躾のできていない犬を放し飼いにし、
やりたい放題させていることに対しては、反撃に出た。
なぜなら、
私は、飼い主のそういう無神経さにひどく腹が立つのだ。

犬が怖いと思っている者にとっては、こうしたことは、
不意をついた通り魔的暴力だと思うからだ。

その意味で、そんな飼い主の前だから、今度はこちらから、あえて犬を蹴るような真似をする。
もちろん真似だけだ。実際に蹴ることはないが。

飼い主のあまりの無神経さに意図的に抗議するつもりで、そういう真似をする。
こちらに悪気もない。
ただその時に、大人気ない行動をとってしまったことがある。
いまは、そんなことをしないが。

私が言いたいのは、
飼い主のマナーのことでもなく、結果、相手と同レベルの大人気ない振る舞いをしている私の態度でもない。遠い昔に犬に噛まれた恐怖の体験が、たとえ手の甲の傷は、ほぼ消えても、
依然、私の記憶の深い倉庫には、恐怖心がいまだ消えずにずっとそこにあるということだ。

それが、ちょっとした時に、突如として現れ、無意識の反応として、返ってくることもあるという一例にしたいだけだ。

ジョー・ヴィターレ(またはビタリー)博士の著書(「宇宙スィッチ」ジョー・ヴィタレー[著] 住友 進[訳]  サンマーク出版)の《あなたの人生に指図しているのは誰か? p100》には、

カール・ユングの言葉が引用されている。、

   「無意識の正体を意識できるようになるまで、人生は無意識に操られてしまう。
    人は、それを誤って運命と呼ぶだろう」
      (カール・ユングの言葉:「宇宙スィッチ」より引用の引用 p101)

なぜ、このメッセージが重要なのか。

   「私たちは自分の知覚から、人生を創り出しています。」
     (前出:「宇宙スィッチ」:p100)

と述べるビタリー(ヴィターレ)博士は、以下の示唆をしている。

   「ほとんどの人が無意識に指図され、惰性で生きています。しかし、
    このような状況は自分が人生を創り出している張本人だと気づいて
    いないからにすぎません。」
       (前出:「宇宙スィッチ」:p101)

ビタリー博士は、無意識に流されて生きることの危うさについて、示唆をしている。
私たちの無意識の倉庫に、有り余るほどの幸福感だけが満たされていれば良いが、
現実はそうではない。何でもかんでも、人生上の体験したことの全てを記憶している。

この無意識の倉庫にネガティブな記憶ばかりが満たされていれば、
ビタリー博士の上述のメッセージ通りだとするなら、幸福な状態は、決して望めない。
そして、無意識の怖さについてを、私は、冒頭に書いたつもりだ。

私たちは、無意識から、意識的に生きる方が、より恵まれた人生を作り出すことができる。
例えば、意識的に願望や目標を持つということだ。

ビタリー博士は、次のように言う。

   「自分の願望を意識的に選ぼうとしなければ、あなたはたちまち
    潜在意識に操られてしまいます。」
 (「宇宙スィッチ」ジョー・ヴィタレー[著] 住友 進[訳]
サンマーク出版:p101より引用)

と。

加えて、

   「自分の願望にきちんと気づきさえいれば、人生はあなたの願いをかなえる
    方向にひとりでに動いていくのです。」
         (前出:「宇宙スィッチ」:p101)



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