夢見心地☆思考 ★19#0167

フィリピン-ピリピン

実は、私たちの誰もが魔法のランプを抱きかかえて生活している。

だがその誰もが魔法のランプを抱きかかえていることを知らずにいて、
ましてや使い方など、知る由もない状態にある。

この魔法のランプは、常に私たちのどんな思いをも、
そのまま瞬間に実現してしまい、時に、私たちの人生を大きく変えてしまう
とんでもなく大きな力を持っているものだ。

しかるに、
私たちは、それを直接、見たことがないものだから、
それを抱きかかえていることを認識できないでいる。

この魔法のランプについては、成功法則の賢者たちは、その正しい使い方を、それぞれに、
それなりに伝えている。もし、信じられるとしても、それを素直に受け入れても
特に問題はないはずだ。

だが私たちは、直接、目にしていないものについての話を見たり、
読んだり、聞いたりしても、
良くて「ふーん…」とは、思うものの。
あるいは、もう少し前向きにそれならばと、利用したいとは思ってはみるものの。

どこか、まだ他人事のように、それを受け止めている。

で、その魔法のランプは、
誰にとっても、平等に標準装備で持っているものだ。
そして、同じくツールとして標準装備されている「思考」によって入力され、
活用される。

それは、まるで、
携帯端末によっては入力用として備え付けられた入力ペンのようなあの感じだ。

仮に携帯端末が、とてつもない能力とパワーを持つ潜在意識(潜在能力)だとするなら、
入力ペンは、入力者の思考と意思の表れに相当する。その入力ペンにどんな思い(ポジティブな傾向を持つのか、あるいはネガティブな傾向を持つのか)を託すかだろう。

人によって、その活用のされ方が異なる。つまり置かれた環境や状況、状態などで、
その差などがあり、加えて人がある意味、運命づけられて持つ人生の関数座標位置的なことも相まって、千差万別に思考された結果の内容で異なってくる。

そうであるにもかかわらず。
時々の思考が、潜在意識へ何らかの作用をするものであるということを
認識している人はかなり少ない。

その意味で言えば、
私たちの人生の悲劇、喜劇は、この思考によって、
すべてが決まり左右されているとも言えるのだ。

「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)の著者、ロンダ・バーン氏は、p46で、次のように言う。

  「人生を創造する力は今すぐにでも手に入れることができます。なぜなら、
   今この瞬間にもあなたは思考しているからです。
   実現したら有害となる思考は、今すぐ変えることができます。
   良い考え方に変えることによって、以前の考え方を消してしまうのです。
   思考の結果は、瞬時には表れないので、今、プラスの思考に変えて、
   新しい波動を放射すれば良いのです。」

     (前出:「ザ・シークレット」p46より引用)

と述べている。

この言葉の「今、プラスの思考に変えて、新しい波動を放射すれば良いのです。」の先に何があるのだろうか。ロシアの元量子哲学者のヴァジム・ゼランド氏の著作「トランサーフィン」シリーズは、それにきちんと答えている。

「トランサーフィン」は、
私たちの人生の無限の可能性とパターンが格納されたバリアントの空間があるという仮説を立てる。

そして私たちに多くの示唆を示す。一方で、
私たちは、とかく目に見えるもの知覚できるものだけを信じている場合がある。
少なくともその制約を大きく受けている。
だから、バリアントの空間を信じられない人もいるだろう。

しかし、実は、私たちの空間には、
目に見えていない物のの方が圧倒的に多いということを、案外、受け入れていない。
受け入れる準備すらできていない。
そんな狭義の空間の中で、認識したものだけを信じる傾向がある。

例えば、卑近な例で言えば、何らかのVirusを直接、見ることはできないし。
この夜空のずっと向こうの宇宙の果てさえ見たことがない。その途中には、
どれほどの数の銀河、恒星、惑星などが存在しているかさえ推定するのみで、
正確には知らない。

もっと身近で言えば、私たちは、心の動きすら、充分に感じることも、見ることもできていない。あげたらきりがないほど。見えていないものの方が、重要で、圧倒的に多いのだ。

ならば、仮説で、バリアントの空間があるとしたところで、なんら不都合はないはずだ。
それで人生上の多くのことが、説明が付くならば、結構な話だと、私は思っている。
その程度でいうのだが、

トランサーフィンによれば、

「今、プラスの思考に変えて、新しい波動を放射すれば良いのです。」
(前出「ザ・シークレット」:p46より引用)

ということの、
その先に何があるのかという説明について、
パリアントの空間には、私たちが望むにふさわしい人生ラインと同調することができ、ふさわしい選択できると示唆する。

        ☆ ☆ ☆

【フィリピン・夢見メモ】
2005年の12月初旬。
はじめて訪れたフィリピンで、マニラからパンガシナンの彼女の田舎を目指して夢見街道を突き進んでいるとき、物理的現実世界に放置してきた不安は消えていた。現実世界の不安の主なものは、金銭的な不足と仕事だった。いま完全に夢見世界へのシフトで消えたものも、再び日本に戻れば、その不安は、再び現実化し、私を苦しめるだろうとは思っていた。こうした行き詰まりの思考の延長線上に、この夢見ブログがある。



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