私たちは、自然の、否、宇宙の原理原則や法則の中で生きている。
たとえそうであっても、
普通の私たち生活の中で、それをあまり意識することも認識することもない。
発明、発見というような言葉があるが、
例えば一例で、電気の原理は、発明されたのではなく、固より宇宙の中に存在し「在った」ものだ。人類史の原始古代の昔よりも、そのはるか以前から厳然として宇宙の中に「在った」。
それを過去の優れた科学者や研究者などの叡智が見出し、私たちの生活の中に活用できるようにしたというものだ。
例としてあげた電気に限らない、すべてのものは、
固より、ただ、在る。これからも、在るものを、いづれ見出し、活用できるように考えられるであろう。
その意味で私たちは、
私たちの今の時点での社会的発展と人間の生産力という制約の中で、
生活をし暮らしているが。
さらに想定を越えた思いがけない「発明・発見」を宇宙の宝庫の中から見出すことは、
人間の知識力が深まるにつれ、これからも無限数にあると言えるだろう。
目に見えない法則というものについて、人間の行動様式、思考様式、つまり人生そのものなどに関わる法則を考えてみた時、ふと気づかされた。
こうしたこともすべて宇宙の法則に従っており、法則という見方は、人間が勝手に意味づけしているのであって、元々「在る」ものだということ。
私が気づかされたのは、元々「在る」ということは、どういうことなのだろう?
という点にある。
言い方を変えれば、宇宙に何らかの方法で「記録」されているという見方もできるという
”気づかされ”だ。
大雑把な喩えで言うが、無限宇宙というOSの入ったハードディスク内に、多種多様な様々なアプリが入っている。
多種多様の様々なアプリとは、法則であったり、原理・原則だったり。
私たちの運命だったり、いや「運命は変えられる」であったりの哲学を前提にした人生観さえも含む。
無限宇宙のOSは、法則や原理原則に基づいて、何らかの現実化を果たす役割を担っている。
私たち人間は、その中で、宇宙の単なる構成要素の一つとして暮らしているのだ。
こんな考え方をしてみたのは、ヴァジム・ゼランド氏の「[振り子の法則]リアリティ・トランサーフィン」(ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝正浩[訳] 徳間書店)を、一部読み返してそう思ったのだ。
「ものごとが現実化する際には、あらゆる多様性が生じる源がなくてはならない。
まず、このことから考えてみよう。私たちの世界のすべての法則はどこかに
『記録』されているのだろうか。ものごとが現実化するとき、それは時空に
おける物質の運動として現われる。その運動は、一定の法則に従う。」
(前出「[振り子の法則]リアリティ・トランサーフィン」より引用)
この文章の引用が何を意味しているのかは、この抜き出しでは、
本を読んでいない方には、
まったくわからないかもしれない。
平たく言えば、
いや、何が何でも、逐一、わかる必要もないと思う。
もちろん、分かる方がいいには決まっているが。それはそれとして割り切ってもいいと思う。
今日、この部分を説明するのは、目的ではないし、
ただ引用に念のために尾ひれを足しているが無視してもらいたい。
その尾ひれの部分が、却って、わかりにくくしているかもしれないが。
ともかく無視してほしい。
大切なのは、
「ものごとが現実化する際には、
あらゆる多様性が生じる源がなくてはならない。」
(前出「[振り子の法則]リアリティ・トランサーフィン」より引用)
と、
「私たちの世界のすべての法則はどこかに『記録』されているのだろうか。」
(前出「[振り子の法則]リアリティ・トランサーフィン」より引用)
という2点の示唆だけに、注目すればいいと思っている。
ここが、ぼんやりでも、何となくでも分かればいい。
正直、この文章は、難しい。
この本は、こう言う言い回しが非常に多い本だ。読むのにかなり苦労する。
ただ、この本を分からないなりにぼんやり読み進んだ先には、
かならず得るものが大きいと確信する。
話を元に戻すが。
私は、本をめくり、部分的に読み返しをしながら「私たちの世界のすべての法則はどこかに『記録』されている」という言葉に、
良い意味で引っかったのだ。
宇宙に「元より、在る」のならば、「記録」されているという考え方をしてもいいのでは。
と思ったのだ。
同じように、
”あらゆる多様性が生じる源”も、それも「記録されている」という部分に含めることができると思ったのだ。
「『記録』されているのだろうか。」とあっても、これは、
否定を含む意味での疑問系ではないということ、
著者ゼランド氏としては、
それを肯定し、認識していることを確認しようと読者とともに自問しているのだと。
私は、解釈している。
難しい訳の分からないことをダラダラと書いてしまったが。
何を言いたいのかを、明確したい。
ゼランド氏の示唆は、
私たちの潜在意識によりコンタクトがとれる”ある空間(バリアントの空間と呼んでいる)”には、無限数の人生のシナリオと舞台装置が「在る」ということ。それは、その空間の中に、「記録」されてあるということ。
そのすでに用意され出来上がっているシナリオと舞台装置が選択されたとき、
現実化された人生ラインとして、私たちはそれに沿って生活することになる。
その人生ラインが、私たちにとって、望ましいものか、望ましくないものかは、
私たち一人一人の選択によるのだ。
選択ができるということは、望ましくない人生ラインであれば、
乗り換えもまたできるという意味でもある。
その乗り換えの方法は、前出した本を読むことをお薦めする。
ポイントは、「私たちの潜在意識によりコンタクトがとれる」ということは、
潜在意識に私たちの望ましい種を植え付けることで、
その結果を得るという多くの成功法則本の考え方をそのまま踏襲しつつ、
前向きな考え方をすることが、望ましい人生ラインの乗り換えの前提になる。
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