夢見心地☆関心(フォーカス)を向けること ★20#0285

フィリピン-ピリピン

人生ライン(タイムライン)の概念を受け入れるようになってから、
自分の身に起こる現象や状況、状態、ちょっとした環境の変化に、
冷静に対応できるようになってくるものだ。
あるいは、冷静さの必要性を強く感じながら振り返ることができるようにもなる。

必要以上に、状況、状態について、
心を煩わされない、悩みすぎないという良い変化が生まれてきた。

言い方を変えれば、希望を捨てることがなく、この人生ラインを越えれば良いんだ。
というような楽観的な気分も生まれてくる。どうやって希望を見出すかが。
いつも関心事にそこにある。

人生ラインについては、
いづれキチンとこのブログで記述していくことになるだろう。
いまは、私自身にとっても、理解をめざす発酵期間だ。

まず、信じない人は、それでいい。
正しいとか、間違っているとか。そういうレベルで無駄な時間を割きたくない。
ただ、私は”人生ライン”というものは、ごく当たり前にあるものだという認識でいる。
そうでなければ、宇宙の無限的な性質を否定することになると思うからだ。

私が、人生ラインに関心を持つのは、私たちが、誰もが一度くらい口にしたことがあるであろう。
この”もし(if)~したら”の考え方が発端にある。

あなたは、

「なぜ、私たちが、”もし(if)~したら”と、思うことがあるのか?」
ということを、考えてみたことがあるだろうか?

私は、いま十分な根拠や客観的な方法によって言うことができないが、
なぜか、ただ直感的に納得できたのだ。

”もし(if)~したら”というふうに、想定(仮定)できるということは、
他の”~した私”という存在とその選択の結果が、
いま現に存在している私たちとは別個に平行してあるということを、
誰しも意識下の領域においては、知っているのではないかと。

それが、選択された今との比較において、ためらいだったり、
安堵だったりの感想に置き換わっているのではと。

そして、現在(今)を選択した存在の私と、上に例を挙げた他の”~した私”の間にすら、
実は、無限の存在がある。

きわめて微妙な差で(例えば、箸の上げ下げをどうしたこうしたみたいな
そういう些細なディテールを含めてのその差)で分岐するラインがあって。
さらに、それぞれが異なる(シュミレーションの)シナリオを持った人生ラインとして
あるのでは、という勝手な思い込みと妄想だ。

再び言うが、納得できない方はそれでいい。その立場から見方では、どこまでも、
平行線で、私の言っていることは変わり者の見方なので。
ともかく、そう思う方は、それで正しいしそれで良いということだ。
それに対抗して反論したり否定するつもりもない。平行線のままでいい。

ただ私は、妄想に耽っているわけではない。
頭もおかしくなったわけではない。常識的な生活も営んでいる。
そして今も極めて、冷静に考えている。

そうした次元というのか、今いる私には、選択しなかったために現実化されなかったが。
人生ラインの別次元のシュミレーションのような世界が同時に平行して共にあるということ。
また他のあり得たはずの別なシナリオの私が別次元にもいるということだ。

それは常に、いつでも私たちの考え方次第で、乗り換え可能な世界なのだ。

その私は、あえて選択を行った”今ここ”にいるのだ。
いつでも別次元に人生ラインの選択肢ができるその先端にいる。
同じことだが、そして、私たちは、見方を変えないと認識をできないだけだが、
常にその人生ラインを左右し行き来もしている。

そう直感的に思っている。

そうした刺激と示唆を与えてくれたのが、
バシャール(パラレル・リアリティ/タイムライン)であり、
ヴァジム・ゼランド氏(人生ライン)だ。

そのタイムラインや人生ラインに大きく関わるもののひとつが、
”関心を向ける”ということがある。”関心”を向けるということは、
フォーカスすること。宇宙の法則の中で、
重要な要素である”選択”と背中合わせで関わりその前段階にあるものだ。

その関心(フォーカス)について考える上で、
「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス[著] 吉田利子[訳] =SoftBank)
に注目してみた。

この本には、関心について詳細で、分かりやすい記述がある。

   「具体的に何かを望んでも、望まなくても、違いはない。引き寄せられてくるものは
    あなたが関心を向ける対象のエッセンスである波動だ。だから、本当に心から
    望むことは実現する。そして本当に心から嫌だと思うことも実現する。」

   (前出「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」より引用)

とエイブラハムのメッセージがある。

このエイブラハムのこの指摘は、とても重要だ。
関心の向けられ方で、望む望まないに関わらず、
私たちの人生ラインの進むべき方向が、大きく振られ左右されるからだ。

つまり
私たちが望む人生ラインで、より良いものを選択したいと思っていても、
実は、あまり意識していないつもりでいても、それは寄せ付けたくないという思いが重なって、
むしろ矛盾する形で意識し、結果は、関心を向けていたというような場合があるからだ。

この関心の向ける方向をどうコントロールするのか。

それは、何よりもまず特別な状況を創り出している対象に関して、
無関心になることより他にない。

正確には、その無関心をさらに、
望むものに積極的に関心を向けることで、
あまり意識してはいないというつもりの望まないものに
向けられていた対象物が、早晩、消えることになるという。

この時に、人生ラインは、より望むほうへシフトしたということでもある。



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夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/

夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

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