夢見心地☆価値あるゴール ★20#0291

フィリピン・パブ フィリピン-ピリピン

改めて、人生は旅だと思った。余談だが、大学時代に級友と2人で、目指す宛てを作らない旅行をしようとなった。前後で2度行った。
1度目は、「ただ東北方面に行ってみよう。」で北上した。
2度目は、「南下してみよう」だった。結局、京都へ行った。

お互いに、いい意味で個人主義的な考え方に徹していたせいか、必要以上にお互いの気持ちに踏み込むことはなかった。そして適度に折れることも、少なくとも、彼は、大人で達人だったのかもしれない。私たちの旅行は、2泊程度のもので、ともかく行ってみようだけというものだった。

「東北方面に行ってみよう」だが、行き先は、当然、決まっていないし、宿泊先もない。
ひたすら北上してみようだけだ。
変わっているのは、その行き方だ。京浜東北線で行けるとこまで、行ってみようだった。
彼の発案で、私は、すぐに同意する。何も決めていないので、お気楽だ。

私も簡単に同意する。覚えているのは、大宮駅あたりが最初の終着で、電車を乗り継ぐ必要があった。たまたま昼でもあり、ひとまず昼食のために降りた。大宮の駅周辺をぐるりしたように思う。

その後、どこをどうして東北方面に向かったかのか、まるで覚えていない。
ただ、一般的なコースで特別に、お決まりの電車に乗ってというようなことではなかったので。
ゆっくり、ゆっくりしたものだった。

結局、着いた先は、仙台だった。

彼は、民宿へ泊まろうと言っていたのだが、私は、民宿のような日本的でオープンな感覚が苦手で、どうしても個室感のあるシティ・ホテルのようなところが良いと希望し、彼はそれに同意して折れた。供に、よく飲んだので、そのシティ・ホテルのラウンジで、飲んだ記憶がある。

おそらく、彼にとっては、宿泊は、彼の意向と大きく異なり、彼なりの不満があったと思うが、それを口することは決してなかった。不快な態度などは、一切見せない。
私は、その時が、初めて東京を離れ、仙台が、私自身の最北端方面をめざした体験だった。それでも、私たちの個人主義的な旅行は、2度目があったのだ。

私の気分も承知の上で、彼が誘った。
今度は、京都で、さすがに新幹線で行った。着いてから、何をしたか覚えていないが、京都の場末の映画館に入ったような記憶だけがある。映画の内容も覚えていない。
それは、それで地方の映画館についての体験だ。

そして、夜、一緒に、京都の四条あたりの居酒屋で飲んだ。私は、私なりに楽しかった。彼も、特に、仙台行きで、彼の意向とかなり違う私に対して相性の合わない奴だとは、思わなかったのだろう。少なくとも、私は彼に対して違和感はもたなかった。だからこそ、2度目があったのだろうと思う。しかも彼の結婚式には、主賓で呼んでくれた。

そして、お互いに同じ時期に大学を辞めた。しかも、その日が、進級のための学科選択の日で、偶然出会って、お互いの消息と退学の意向を確認した。というのは、在学中は、ほとんどお互いに別々なことをしていたので、よく分からなかった。彼は、しばらく、スペインに行ってらしい。

その後、日本に帰ってから、マガジンハウスで、フリーのライターもやっていたようだ。私は、映像関係に進んで、お互いに、完全に道が別れた。その後の彼の消息は、知らない。
こんなことを、書くつもりはなかったが。その意味で、ほんとに想定外の余談だが。

私は、「適当」という意味で、このいい加減な旅行は、それは、それでいい。良かったと思っている。しかし、宛てのない旅行をしたことで、これといった特別な収穫と言えるものはなかった。見方を変えれば、
それが、実は、収穫だったのかもしれない。冒頭に書いた意味もある。

つまり、
明確な目的を持っていたら、もう少しましな旅行の記憶が残ったに違いないことだ。
記憶に残っているのは、宛てのない旅行をしたという体験の記憶だけ。
それは、それで、ある意味、”学び”でもあった。と、今は思うが。

そして、宛てのない旅行と書いているが、
ちゃんと、ゴールは、あるということだ。
東京には、帰ってきた。

ただし、旅行のプロセスとその記憶がほとんどないというだけだ。

そのことを含め、
私は、改めて、人生は旅だと思うで、このブログを書き始めた。
私たちの人生は、多くの場合、通常の旅行のように、
綿密な計画を立てることはほとんどないといえるだろう。成功者は、ここが違うようだ…。

ジム・ドノヴァン著作の「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功法則」(桜田直美[訳] Discover)の小見出し≪31 人生を偶然にまかせない≫に注目した。
ジム氏は、

 「ゴールを決めることが成功と幸せの鍵になる。成功とは、価値あるゴールを段階的に
  達成していくことなのだ。」

 (前出「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功法則」より引用)

という示唆をしている。そして、旅行のときに、ほとんどの場合は、綿密な計画をたてるように、また、出発までのワクワク感や旅先での期待に何らかの思いを持つものだと。
それと同じように、なぜ、人生という旅に、綿密な計画を立てないのかという指摘なのだ。
人生こそ、最大の旅だなのだからだ。

そこで、得るものは、単に、どこそこで、名産を食べたとか、どこそこの体験をしたというに
留まらず、人生上の成功という価値が付随してくるのだから。

人生の各段階ごとにゴールを設定することの意味は、どんな意味があるのかを深く考えた時、
この章のタイトルにそれが暗示されている。
≪人生を偶然にまかせない≫のそこに答えがある。それは、「選択」だ。
やはりすべては、「より良い選択」なのだ。

その「選択」を正しくする拠りどころは、すべて「ゴール」にある。
めざすゴールをがはっきり設定されていれば、「選択」で大きなミスをすることは、
少なくなる。軌道修正も、十分に可能なのだ。

このブログの前段で、宛てを作らない旅行をしても、結局、ゴールは、東京だったと書いた。
少なくとも、旅行に行き放しではない。ちゃんと、帰ってきたのだ。であれば、必ず、何らかのゴールは、誰しも設けている。それならば、きちんとゴールは、設定したほうが、収穫は大きいのだろうと容易に想像がつく。



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夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/

夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

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