夢見心地☆ふわぁ~っと、思いが適っていた事実 ★20#0434

フィリピン-ピリピン

過去の備忘録のデータより。

   *  *  *

ある時、やや気になっていたDVDを観た。TSUTAYAでレンタルをしたものだ。
そのタイトルは、デンゼル・ワシントン主演の「デジャヴ」だった。

今回は、その映画について論じたいのではない。
いずれするかもしれないが。内容の把握は、かなり難しいと思った。
すんなりと理解しづらい部分が結構ある。
それでも、それなりに素晴らしい映画だということだけは、言っておきたい。

テーマは、過去の出来事、次元に遡るという内容だ。

政府機関が巨額資金を投入したあるシステムを研究開発中に、偶然に発見し気づいたもので、
過去数日間の日常のリアリティを再構成しリアルな現実としてモニターにリプレイできるというのだ。

物語は、主人公が自らの直接の試みにより、結果、過去の現実に変更を加えるてみるという
部分がある。そこがとても興味深かった。

物理的な現実と、時間についての概念説明などがあるが。
テンポが早く、正直、理解するには、ちょっとついていけなかった。
だが、また見たいと思える内容だった。単純に、面白いのだ。

そのDVDを見ているときだ。ふと携帯を観てみた。
私は、私の都合で、
携帯の設定を初期画面でなく、
内蔵アプリの画像データのサムネイル化により
画像がリスト配列されている画面設定にしている。それを見た。

そのようにしている狙いは、
私の携帯は、京セラ製のもので、メールの着信が、濃い黄色のメールマークで、
表示されるのだが。それが、ホットな感じで好きだったからだという理由がある。

すでに、どこかの記事で時折述べているが、
私は、ささやかな学習教材CDをネット販売をしている。
注文があると、携帯にも注文メールのお知らせ表示される設定にしてある。

私が注意を払っているのは、そのメールが入っているかどうかを、
確認のため時折見ることだった。

そのDVDを見ている時に、ふとチェックしたわけだが、

私は、ややゾクッとした。

黄色いメールマークがディスプレイの上の方に表示されていたからだ。
オーダーだ。ありがたいと思うシーンでもある。

しかも。
それは、もともと設定してあるので、決してめずらいしことでもなんでもない。
当然のことだった。
それなりに注文は来ているし、何も不思議なことではないのだ。

だが、その時は、ゾクッとした。
理由がある。

少し前に、画像データのサムネイル画面に、
オーダーメールの黄色い表示がなされるよう念じていたからだ。
もちろん、偶々(たまたま)その通りになったというだけの話かもしれない。
そう言われて、あえて反論はしない。

もう一度言えば、文字通り「偶々だ。」でもいい。
単なる偶然に過ぎないだろうという見方が。
それらしく聞こえる。当然、そのことをあえて否定はしない。

ただ私自身の事情があって、
この時期は、タイミングとしてオーダーが少ないように感じていて、
だけに、念じる効果を試していたし、それに頼っている部分もあった。

だが、そんなことでは、説明として弱いことは、百も承知だ。

それに、携帯の画面に念じるという習慣は、
私は、かなり以前から、効果の度合いを知っていて、何度も試していたというのもある。
本来、ゾクッと来るような場面ではないのに。

なぜかゾクッとしたのだ。

念じてすぐに結果がでないことも、当然あるし。その意味で、ますます説得力は弱い。

それでも、私は何度か意図的に念じると、結果が出るということを感じつつあって、
体験をし、偶然というより、引き寄せるのだという確信に変わりつつある思いの中で、
昨日、やはりそのとおりに起きたことで、私なりにゾクッとしたのだ。

この感じは、体験を共有していない人たちにする説明としては、
かなり難しい。
一笑に付されるレベルだろう。それでいい。わずかに支持していただける方だけでいい。

で、その一方で、
この過去の時間の再現というDVD映画を見ながら、
通常、ありえないと判断されるようなSFレベルのドラマを見ていた時だけに、
そういう思いがやや強くなったように思う。

この私の小さなトピックは、私にしてみれば、単なる偶然だなどとは、
全く思っていない。

「偶々(たまたま)だよ」という意見も正しい。だが、私は、
それでもなお、念じたから起きたのだと思っている。
その意味で、この話が理解されなくても構わない。

そしてそう思う。もうひとつの理由がある。

もちろん、この話もいろんな立場からどうにでも解釈ができる内容だ。
それを言う前に、私に起きたストーリーを、繰り返しになるが、一応、話しておこう。
またかと思われるかもしれないが。

私自身の生活費補填のために行っていたアルバイトのことがある。
公的機関で、清掃のアルバイトをしていたが。
下請け会社の先方の都合でリストラされたという内容だ。
その件で、詳細を書くつもりはない。その事実に、私自身、まるで興味などないし。

興味があるのは、思いが現実化するという点についてのみ私の関心がある。
私は、その清掃の仕事を当初、すぐに辞めたいと思っていた。
きた当日に、「しまった!」とも思った。

しかし、馴れというのは誰にでもあって、
それなりに、「まー、こういう生活もしばらく仕方ない…か」と。
自分の中で受け入れてしまうということがある。

私はそうだった。

ただ時折は、やはり辞めたいとも思っていた。
そして、決定的だったのは、膝に故障を感じた頃からだ。
兼ねり痛みが走るときには危機感を覚えた。手術?…歩けなくなるかも…と。
などとと。

ある時だ。

ふと膝の痛みを忘れる時もある。ぼんやりと自分のいま望む生活の姿を
思い浮かべているときもある。自宅で優雅にPCに向かっているような、
以前の自分の姿だ。
そんなことがあって、しばらくしたら、私はリストラ候補になった。
なので、その宣告を受けたとき、ちっとも、悲しくなかった。

「やったあ!」と思ったのだ。

少なくとも、雇用側から後腐れなく、辞められると。
正直、喜んだ。もちろん、そのあとの生活に深刻な厳しさが増すことが、
控えている。

それを承知で喜んだ。そして、気づいてみると、
私は、以前のようにPCの前で、のんびりしている自分の姿を確認している。
今が、まさにそのときだ。

あー、思いの通りになっているという実感だ。

この話は、普通、ただ辞めさせられただけじゃないか…と、
思われるかもしれない。でも違う。

辞めたいという思いの延長線上に、今の結果があるのだと思っている点だ。

大した願望でないにしろ。
気がづいてみると、ふわぁ~っとした次元で、
自分の望みが適えられているのだなという実感を抱いた。



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夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/

夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

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