「噂をすればなんとやら…」で、
文字通り、いい意味でも悪い意味でも、ある人物の噂をしていたそに人物が、何らかの方法で、その場に突然現れたりすることを言う言葉がある。
こうしたことは、案外、多いと思う。
ただ、噂しなくても、思うだけでも、現れたり、連絡が来たりすることがあるものだ。
実は、2-3日前のことだが、
ある街を仕事の帰り、歩いていた。
私は、腰と右膝に痛みを抱ているので、
あまりに痛みが出てくるときは、
時折、歩いている途中で腰から前屈(まえかが)みになり、腰を伸ばして、
一息つくことがある。
いまそのときは帰宅途中だった。あるマンションの前で、苦痛が生じていたので、
前屈みになった。その1分もしないうちに、マンションのドアが開閉され、女性の次に、すぐ、年配の男性が私の前屈みになった姿の前を、一瞥するように横切った。
私は、その男性が誰か知っていた。中学時代の同級生で、かつては仲の良かった友人のOだった。
私はこの友人と、ここ十数年間のうちで、地元ということもあり、(といっても、およそ2キロ圏内の距離の地元で)数回見かけている。
最初、見かけたのは、大手スーパーの中だった。だが、双方とも、言葉を掛けることはなかった。当時は、非常に仲の良い級友ではあったが。今更感がある。
「よぉ!久しぶり」という気には、とてもなれなかった。
相手は、だいぶ髪の毛が後退しており、「嘘だろ…」と言いたくなるほど、
「オッサン感」がにじみ出過ぎている。華がない。話しかける気になれない。
とてもじゃないが同年代と思えない。あまりにお互いの人生に異なる時間と空間がたっぷり加算されている。それらが、お互いを疎外している。
もちろん、他人のことは言えない。そう言っても、私も、それなりに老けたろう。
だが、それなりに老けこまないようかなり意識している。
その甲斐もあって、ありがたいことに年齢に見られることはまずない。
まあ、それは主観の問題で。自分で言うことではないとは思っている。
私も「相応にオッサン」ということにしよう。
彼は、何となく、パッとせず、瞬間的に、こういうカタチで会いたくないん人物だなと思った。いや、やはり、埋めようのない今更なのだ。
あえてここで、過ぎてしまった遠い昔を懐かしむ気には、とてもならない。
他人の事ばかりけなして言うべきでないので、自身のことを言えば、
私の生活状況も決して誇れるものもなく、たまたまどん底であったこともあり、
ともかく「あ、なんでこんなところで(会うのか…)。嫌だな…」
と思うのみで、話しかける気にならなかった。
同様に、相手も「お前…だろ?」というような表情を一瞬したが、
マジマジとこちらを見たが、私は、それに気づかないフリをしてその場を避けた。
その時は、何事もなかったように、お互いそのまま通り過ぎた。
相手も、結果、同じように思ったのかもしれない。
その後、運命のいたずらで、数回、街で出会うことがあった。対応は、
相手も、私も同様。もう今更なのだ。
運命のラインは、同じフィールドでたまたまクロスすることはあるようだが、
もはや目指すところ、生きざま、考え方、世界観がまるで違うというのが直感できた。
とても「久しぶり」という感覚だけでは、
今を共有できる相手ではないことが、肌合いでヒシヒシと感じた。
なので、それでいいという思いだ。
そして、冒頭の話に戻るが、あるマンションの出入り口の前で、この人物が、
目の前を通り過ぎた。
私は前屈みになりながら、彼を感じた。私は、以前このマンションから、彼が出てくるところ、遠くから見かけたことがあるのだ。住まいは、ここだったのかと思ったので。
ここは、そういう場所なのか…というその記憶があった。
いま前屈みになった瞬間に、この昔の級友をここで出くわすかも…と思った。
その矢先、
マンションの扉が左右に開いて、エレベータの中から出てきた人物が、前屈みになる私の前を、彼が通り過ぎていった。
私は前屈みになりながら、この人物と出くわす直前に、彼と会うんじゃないかと、
ふと考えた。文字通り、その刹那だった。この人物とまた出会ったのだ。
地球の一点で、交わったのだ。
私は、当然、私の思いが現実化したのだと、強く感じた。
しかも、その時、出会わなければいいな…という感情が伴っていたことが、
笑ってしまう。
これは、単なる偶然などではない。そもそも、偶然などあり得ない。
そう思うのは、物理的現実に対して創造的でない、生産的ではない。
このどうでもいいドラマは、「会いたくないけど、会うかもしれない」というそういう感情を伴って、彼という人物にフォーカスし、思考したために起きた引き寄せが働いたのだ。
そう思っている。
願望の現実化には、客観的な現実に対して、何かしら物理的現象を起こすための、
それなりに努力しないといけないのではないかと思いがちだがそれは違う。
私のしたことは、この昔の級友に会うという場合の状況を、
つまり言い方を変えれば、無限にある状況の設定から、
私の前をあえて通りすぎるという状況の場面を意識的に選択してしまったことだ。
この一見、偶然に見える単なる出会いも、実は、実は。
選択によって、そうなるような物理的現実を創り上げたということだ。
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