多くのヒントをもたらしてくれた記述があった。
ジェームズ・アレン氏の著作「あなたの願いがかなうとき」(ジェームズ・アレン[著] 葉月イオ[訳] PHP文庫)だ。
その中の私が注目したのは、≪「成長するための場所」に生きている≫だ。
この項目は、これまでに数度、読んでいる。
しかし、今回ほど、この「わずか2ページほど」の短い記述で、多くの気づきを与えてくれた深みに驚いている。
すでに、何度か読んでいると書いた。しかし、これまでは、ただそれなりに字面を相応に理解していただけだったのだなと、改めてそう思った。
その理解に厚みを増してくれたのは、バシャールの世界やヴァジム・ゼランド氏のリアリティ・トランサーフィンの考え方の影響がかなり大きい。率直にそう申し述べておく。
このアレン氏の≪「成長するための場所」に生きている≫には、何が、書かれているのか。
一言でいえば、当該著作「あなたの願いがかなうとき」の装丁の内側にある。
「…考えを変えれば、人生は変わる!」
(前出「あなたの願いがかなうとき」より引用 装丁の内側)
というメッセージを「わずか2ページほど」の記述で一切の無駄なく凝縮して書かれているということだ。
先の「…考えを変えれば、人生は変わる!」のこのメッセージは、
自己開発系の本なら、必ず出てくる、ある意味、ありふれたメッセージであるが、
なぜ私は凄みを感じているのか…。
アレン氏は、どこまで意識していたのかどうかまでは分からないが、
思考の行き着く先の結果として、
バシャールの世界やヴァジム・ゼランド氏等が言うところのパラレル・リアリティやタイムライン、人生ラインについて、
あえて触れているという点にある。
そこでの概念に大いに刺激を受けた。
アレン氏の示唆が、
そこを理解する上での大いなる助けとなる意味で、凝縮された凄みを感じているのだ。
以下、そのを見ていきたい。
アレン氏は、「思考の法則」について、次のように記述している。
「考え方を中心に、思いや感情が創りだす心の状態が、その人を表し、
その心を映して環境が創られる。これが『思考の法則』です。」
(前出「あなたの願いがかなうとき」より引用)
と述べる。
このことが、考え方のすべての基本にあり。
その上で、
「あなたが今いる現実は、あなたの性格として根づいている考えが、
あなたを連れてきた場所と言えます。」
(前出「あなたの願いがかなうとき」より引用)
と示唆する。そこから導かれることは、
「人生の出来事に、偶然は何ひとつありません。」
(前出「あなたの願いがかなうとき」より引用)
という。
私は、この言葉の深みに驚嘆した。
それは、
凄惨事故などで死を迎えた人々などのことも、対比して思うことがあったからだ。
誤解を招くかもしれないが、誤解を恐れずに言おう。
私は、スピリチュアルな存在として、永遠の私たちの存在の意味を信じつつある。
肉体は、いづれ消滅するが…。
だが、その肉体にフォーカスした魂は、肉体の結果としてあるのではなく、
あくまでも魂が一時的に自分だと思っている肉体にフォーカスしたものとしてあると
考えており、魂は、肉体とは別の普遍の存在としてあるという概念を受け入れつつある。
非科学的だと、一笑に付されるなら、それはそれで、そう思う方も正しいのだろうし、
私は、あえて対立するつもりもない。結構だ。この世界で、結論と呼べるような判断は
おそらく次元の限界として、できないと思っている。
といって、魂の存在を受け入れて、私が、宗教的に生きようと思っているわけではないし、科学的なものの見方を排外しようと思っているわけでももちろんない。むしろ、事実を事実のままに、ありのままの姿勢を堅持しつつ、宇宙の法則を理解していきたいと思っているだけにすぎない。
私は、アレン氏の上のメッセージ。
「人生の出来事に、偶然は何ひとつありません。」
(前出「あなたの願いがかなうとき」より引用)
に、人の死というものも含めて、
受け止めざるを得ないと思っている。
私は、このアレン氏の言葉から、死というものも、決して、寿命や偶然なのではないのだなと確信しているのだ。
病気で死のうと、一見、思いがけない事故で死のうと、
あるいはそれ以外の事情も含めて。
そこには、厳然たる魂自身の都合と法則が働いているという気づきを得ている。
もう少し、突っ込んだ言い方をすると、各人の表層で意識していようといまいと、
各人の考え方の結果が何らかの関わりを持つという確信だ。
もちろん個別のことは、分からない。
各人の個別の生き方の問題について、分かるはずがない。
ただ魂は、魂の都合(成長のミッション)を携えており、いまここにいる。
魂のどこかに現世でのシナリオを持っているのだと思う。そして考え方が変われば、
そのシナリオも常に変わるのだと言いたい。人の一生の長短も含めて、変わるものだと。
私は、人の死を軽く見ているわけではない。むしろ尊重している。
だが、肉体そのものに存在に重きを置いてみるいる訳けではなく、(長生きをしたとか、短命であったとか)そこに、価値の重きを置いていない。
むしろ、アレン氏の今回、取り上げている。項目≪「成長するための場所」に生きている≫という魂の意味に重きを置かせていただいている。
私は、斎藤一人さんがよく使う言葉を引用させていただこう。
私も変わり者の一人なので、信じない人は、それは、それでごくごく普通の人だから、
間違ってないから、それでいいからね、と。
今回は、
死について書くのが、本当のテーマではなかったのだが、思いのほか、
冗長になりすぎたな…と思っている。
この続きはまたいづれ。
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