北杜夫氏の小説に「幽霊」という作品がある。短編の小説だ。
といっても、その小説は、オカルト的なものでは一切ない。内容はすっかり忘れたが。
私は、その小説の冒頭の部分のニュアンスだけを好きで鮮烈に覚えている。
もちろん正確に復元することはできない。もはや手元にないので。
ただこんな感じだったという程度で、実に曖昧な記憶だが。
冒頭に、青虫の話が語られている。
心象風景としての象徴として表したものだろうと思う。
その青虫が、葉の上で、しきりに草を食んでいる。と、いまこうしてここにいていいのだろうかというような何かしら不安になったのだろうか。首をもたげあたりを見回す。そして、思い直して、ふたたび草を食むというような内容だった。その青虫の行動がリアルな表現で、共感をもったのだ。
私が、若い時に読んだので、その頃の私の心情に青虫の振る舞いが
どこかぴったり来たのだと思う。そして、
ここの表現は、ずっと、その後の私の中で息づいていた。
いまその内容を表すときに、私自身の年月を経たアレンジが含まれており、
私の思いの中で、実際のものと比較した場合大きく食い違いがあると思う。
実際の北杜夫氏の小説の冒頭の実際の表現のほうが、はるかに優れている。
そのことだけは、きちんと言っておきたい。
あくまでも私が言いたかったのは、
青虫の振る舞いに鮮烈な印象を受けたということを言いたかっただけだ。
誰にでもこの青虫のように、不安げに首をもたげ、
自身を向かう先を見つめ、これまで来たこの道を見回して自身の「選択」を
問い直すことはあるかと思う。
「今、ここ」にある現実は、私たちの心を映し出す鏡だ。
「鏡」であるということは、単に、いまを映し出しているだけではない。
重要な意味がある。
私たちは、日常的には鏡を見て、身づくろいをし、身だしなみを整えることができる。
鏡に映る自身の顔に、どこか生活の不安やイライラから
「その色をなしているような」感じがあれば、笑顔を取り繕ってみようとも思う。
曲りなりに、笑顔を取り繕えば、その鏡に映る自身の顔は、いまの心境にかけ離れ、
空々しいかもしれないがそれでも笑顔になっている。受け止めは自由だが。
鏡には、チェック機能がある。正確に言えば、機能それ自体は、鏡にはないが、
私たち自身がそう思えば、そうした役割を果たしてくれる。
ジェームズ・アレンは、
「あなたの願いがかなうとき」(ジェームズ・アレン著 葉月イオ[訳]
PHP文庫)の中で、
「現実の世界は、あなたを映す万華鏡です。」
という。また、
「現実という鏡の中の色や光は、あなたの内面をさまざまと映し出し、
絶えず変化する心の様子を的確に表し続けます。」
(前出:「あなたの願いがかなうとき」より引用)
と指摘を投げかける。
現実が「鏡」であるなら、私たちは、その現実から無言のメッセージを、
読み解き、自身をチェックすることができるということだ。
でも、忘れてならないのは、その現実を創り出しているのが、
私たちの心だという点。
私たちの望みや思い感情などは、私たちがすべて引き寄せ、
そして反映されているということだ。
もし、その反映されているものが、思ったとおりの結果でないとするなら、
私たちの外(状況や環境)に問題や困難の原因があるのではなく、
私自身の心にそもそもの問題があるということに気づかなければならない。
別な言い方をすると、
私たちは、常に「選択」をしている。
その「選択」の結果を、いまそのままリアルに現実が反映しているものを見て、
判断できるということでもある。これはありがたいことだ。
それが望んだ通りの結果でないとしても。
いずれにせよ。ジョー・ヴィターレ博士は、
次のように言う。
「自分のエネルギーが外部の環境を引き寄せていると考えてください。
そのためのひとつの方法が、世間は不満が渦巻く世界であることを、
思い出すことです。」
(「宇宙スイッチ」ジョー・ヴィターレ博士【著】
住友 進【訳】 サンマーク出版 p69より引用)
と示唆を投げかけている。
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