夢見心地☆「競馬場で会おう」&「成功法則」 ★20#0440

フィリピン-ピリピン

備忘録のデータより

「競馬場で会おう」とは、故寺山修二氏の著作のタイトルだ。本は、読んでいないので、内容は分からないが、私は、タイトルにロマンティックな感じを受ける。
競馬についての思いは、熱っぽく語る人も多く、人それぞれで。
私は、それについてどうこう言うつもりはない。

ただ、私の事を述べると、そうした人たちからみると邪道と呼ばれるとような理由で、私の思いで競馬に嵌った時期が少しある。15年以上前のことだ。
ただ、私は、賭け事がそんなに好きではないので、結果、心のどこかの時点で、
競馬から離れていた。

私にとって、競馬場については、貧しさと隣り合わせのものとして、決して良い印象は持ち合わせていなかった。それを変えたのが。私の当時の友人で、岡ヤン(彼はインテリで、後にどこかの私大で映画論的な部分で講師をしているらしかった。YouTubeの動画にも出ていたことを知り非常に驚いた。)だ。

私とは、ある映画の予告篇制作会社で知り合った。

岡ヤンはいわゆる先輩だった。なぜか、彼とは妙に気が合った。

私は、その会社になじめず、すぐに辞め他所へ移った。2箇所ほどのプロダクションを経てフリーになっていた。

彼も程なく、独立し自分で会社を興したようだった。私が食えないのを見越してなのだろう。企画の絵コンテを描かせてくれたこともあり、ささやかな金額をいただいて助けてくれたこともある。そんな彼には、一時期、わずかな金を借り受けたこともある。もちろん返済はした。

その彼と、しばらく疎遠になった頃、再び、彼と縁ができた。人生の面白いところだ。
その頃、私は、フリーで仕事を少しずつしていた。
なんとか食えるようになっていたのだ。

その頃、岡ヤンから、「競馬の出馬表にレース結果を示す出目の暗号がある」のだという、
うさん臭い話に乗った。そのセミナーに参加しろというのだ。セミナーには、5000円がかかった。セミナーで参加した聴衆にプレゼントすると言われた、講師の予想出目の番号は、翌日の大井で見事に外れた。

私は、そもそも買っていなかった。なので損失はなかった。信用していなかったというより、
自由になる金がなかった。それを踏み越えてまで、信用することはできなかった。

私が、セミナーというものに参加したのは、後にも、先にもそれが始めてだった。
その後も多数セミナーに参加したが、いづれも、自己啓発のまじめなもばかりだった。

その「出馬表の出目を示す暗号」の読み解き方セミナーは、内容がなく、くだらなかった。
ほとんど中身がない。自慢話に終始していたように思う。

その講師が言ったのか、岡ヤンが言ったのか覚えていないが。競馬の発祥が戦前の軍馬養成と関わりがあって、その関係者がいまでも、その出馬表から資金を得るため仕込まれているというようなものだった。そんな云々で、何となく、そんなこともあり得るのかな…と、半身半疑に思っていたものだ。

結局、私は、「暗号」という言葉に惹かれ、出馬表を眺めることに熱中したのだった。

それは、今思うと笑ってしまう。
競馬のレースは、1枠から8枠まであり、1枠は、「白=騎手が被る帽子の色」、2枠が「黒」、3枠が「赤」、4枠が「青」、5枠が「黄」、6枠が「緑」、7枠が「橙」、8枠が「桃」となっている。ローカルでも中央でも同じ決まりになっている。

たとえば、5枠(黄)の騎手に、厩舎や騎手などが「横山○△」とかが、関われば、「横山」の横の字は、木へんに黄を足した文字で、黄色の文字が5枠を後押ししているという考えで、それは、ある意味サインだという極めて、安直な雑なものだった。

分かりやすく言うために、そのように言ったが、もう少し実際は、もっともらしい方便がある。
ただ、競馬の出馬表(競馬新聞)を詳細に見ると、何となく暗号を頷けるように、偶然というだけではすまない。そうしたロジックを支えている要素が、不思議なほど出馬表にはあった。
なので、私はそれが面白くて嵌ったのだ。

ピッタリとあてることはできなくても、どこか結果を微妙に掠めるのだ。
そんな時は、自分の分析力が足りなかったと反省した。

私は、その事実から、半信半疑ながらも、かなり熱くめりこんで、その意味を研究した。
だが、今だから言うが、それは時間の浪費と、お金の浪費そのものだった。
暗号とかサインなどという言葉に乗せられてはいけない。
しかし、私はそのロジックがどことなく好きでのめりこんでいたのだ。

私は、そもそも競馬なんか好きではないし、ギャンブルも好きではない。
そもそも馬も嫌いだった。

それでも、地方競馬へ、ほぼ毎日のように通った。

大井競馬場をはじめ、川崎、浦和、船橋と、ほぼ1年前後、時間があれば、回っていた。
そんな自分が好きだった。
フリーの映像制作者だったので、時間はそれなりあったので。

しかし、大賭けはしない。せいぜい使っても1日数千円程度だった。
確証が欲しかったのかもしれない。というより、その確証に疑問が拭えなかったのもしれない。
また不思議と当たる場合もあった。客観的にみれば、それは偶然だ。数学的なロジックから言えば、きっと、確立がそれなりあってのことなのじゃないかとその後もよく考えた。

ある日を堺に、
私は、ピタリと競馬を止めた。いまは、まったく興味もない。その後、
一度、大井競馬場に足を向けてみたことがあるが、まったくその気になれなかった。
失った興味は、回復しなかった。

まったく面白くないのだ。1レースだけで、競馬場を出てしまった。
興味が沸かない。これでいいのだと。

それまで私は、ある程度、マガイモノの予想で、当てることはできたが、やはり、全体としては、損したと思っている。ある時点で、トントンか、多少、負けてるかなというあたりで、止める決心をしたのだ。「これで止めよう」と思った。川崎競馬場だったろうか。

後付の理由になってしまったかもしれないが、
私が競馬を止めようと思ったのは、ある思いについていけなかったのだ。

その思いとは、
私の学びである成功法則は、その根幹を為す考えとして、
「与えるものが、受け取るもの。」「富は無限のもの」という考えに根付いている。

それを私は、受け入れている。
一方で、競馬は、「集めた富を再配分する。」その考えに、私は、ダメだなと思った。
それは、「富は、限定されたものだ。」という考えを結果として持つことになる。
私の流儀に矛盾を感じてダメだなと思った。

私は、競馬を楽しんだこともないし、馬がロマンだなどとも思えないタイプだ。

だが、寺山修二のタイトルの「競馬場で会おう」という言葉は、好きだ。
競馬の帰り、海を眺め、レインボーブリッジのアーチ、海側から見たTOKYO CITYを
感じたい。

そのままの流れで、銀座のどこかのブラッスリーあたりで飲みたいものだと。
カウンターでひとり、人生をシミジミ思いたい気分になる。
そんな粋を感じる言葉だ。

私は、競馬を批判するつもりはない。楽しめる人は、楽しんだらいいと思う。
競馬場で食べる、イカフライや海苔で巻いた餅は、うまかった。
それなりの楽しみはあるものだ。競馬そのものは、私には性が合わなかっただけだった。

ただ、私は、私の在るべき道を、成功法則の中から見出し、それに従うまでだ。
私の学びの道は、依然、地平線の向こうまで続いている。
ますます深いのだ思っている。



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夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/

夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

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