数日前、早朝一番で、近くの大手スーパーに行った。ごく普通のちょっとした買い物で。
この日のような晴れ晴れとした天気は、文句なしに素晴らしく、まさに五月晴れだ。
春の醍醐味と言って良いだろう。今年降って沸いたようなウィルス禍がなければ、
もっと、素晴らしい一日のはずだったろう。
4月は、雨ばかりが続いた日が多かったので、さすがにその対比で思う気持ちは、
今日のようなお天気を、過大に評価したくなる。
特に、私がいま。せめてすっきりと晴れてほしいと思うのは、
私自身の何らかのカタチにならない、はっきりしない焦燥感のあらわれなのだろうな
と感じていた。
ふと、
松下幸之助氏の文とイラストで綴った大人の絵本のようなエッセー本を
手にしたくなった。それは、
「大切なこと」(松下幸之助[文] 江村信一[絵] PHP)
この本に何を求めたかったのかは、わからない。
成功者の言葉を救われたいという気持ちだったのかもしれない。
ページをめくる。
と、あるページに心が揺れた。
心の声というのは、こういうものでもあるのかもしれない。
「世の中」と題したページの冒頭の文により、私の焦燥感の姿が見えた。
「世の中はなかなか自分の思うようにならないというけれど、見方によっては、
自分の思うようにならないほうがいいかもしれない。」
(前出:「大切なこと」より引用)
と。
このメッセージは、
私自身の心の中で、前へ進み出ろ。前へ進み出ろと。
私を突き押す何か得たいの知れない圧力に待ったをかけてくれた。
もちろん、その待ったに有効な期限は、ほんの一時的なものだろう。
としても、
この文のさらに先を、読みたくなった。
「人間は神さまではないのだから、いつも一番正しい考えを持っているとは
限らないわけで、ときには自己に執(しゅう)し、他人にとらわれる。
そんなとらわれた考え方を世の中に押しつけてもみたところで、
それで通るはずがない。」
(前出:「大切なこと」より引用)
人生の達人の言葉だな…と、私の心を少し緩和してくれた。
私事で恐縮だが、ここ数年、私の身に感じていることがある。
毎年、5月になると集中してストレスの溜まること事が続くのだ。
実際、5月・6月にかけて、ターニングポイントになったことも、
数度ある。
だけに、好きな春なのに、気持ちが和らぐことがない。
心がざわつく。
この事実は、ヴァジム・ゼランド氏、「[願望実現の法則]リアリティ・トランサーフィン2」(ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝正浩[訳] 徳間書店)
ふうの解釈をさせてもらえば、
5月に、私自身の人生上のちょっとした躓きなどが起きやすいのは、
ひとつの人生ラインからもうひとつの人生ラインに乗り換える
その狭間の解消の”ならし”のために起きているのかもしれないと思うことだ。
5月から6月中旬までを乗り越えれば、パッと、期待の持てる時期がやってくる。
おそらく、
その波に、私がもっとうまく乗り切れれば、良いだけなのだろうが。
その≪ひとつの人生ラインからもうひとつの人生ラインへの乗り換え≫の狭間に、
これは、誰にもある人生上の狭間なのだと思うが、
”時の流れ”に翻弄されているように感じることがある。
つまり、
私だけの世界の層が、まるで何も動いていないように見えたり、
逆に矛盾するように、次から次へと、やるべきことが増えてきたりと。
そのまるで何も動いていないというように見えるその時に、
特に”世の中はなかなか自分の思うようにならない”と、感じるようだ。
前出の松下幸之助氏の本には、この項目の終わりに近いところに次の言葉がある。
「もしも自分の思うとおりになっていたら、とりかえしのつかないことに
なっていたかもしれない。」
(前出:「大切なこと」より引用)
何ていう厚みのある深い見識だなとおもった。
再び、身を糾す思いがした。
私たちの誰にもある”見えざる手”の導きは、
私たちが、私たち自身のそれぞれの世の中の流れに、素直に従っていれば、
案外、ウマくいくのではと、私は、気づきつつある。
ただ、私たち自身の理性が、一見、ネガティブと思えてしまう出来事に、
何とかしようと、思わずあわてて反応し、
制限の多い理性で、すべてを乗り越えよとしてしまおうところに、
無理が生じているのかもしれない。
必ずしも、自分の思うとおりにならなくていい。
それでいいというその心構えが必要なようだ。
五月晴れに感謝したい。
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