自己イメージについて。
今回も、自己イメージに関わる話を考えてみたい。
このタイトルは、”☆改めて「ザ・シークレット」を見直す”とさせていただいた。
というのも、
「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)を手にすると、改めてこの本からあふれる示唆が、
成功法則の広範囲な部分にわたって詳細な記述がなされていることに感心するからだ。
世界的なヒットとなったことで、その分やや派手になったことも含め、手垢に摺れたとは言い過ぎかもしれないが、あまりにも一般化してしまったことに対する反発による若干の軽視が、私の中になかったとは言えない。
しかしそれでもあえて注意深く読み返すと、たとえば、私自身のことで恐縮だが、
かつてラインを引いたところなどを読み返すと、新たな発見があるものだ。
そう思えるのは、おそらく、
この「ザ・シークレット」を読み、または、そのほかの関連する成功法則本などを読むうちに、私自身が知らずに成長させていただいた証なのかもしれない。
今回は、特に自己イメージに関わることで、その意識を持ちながら、
この本を注視したとき、かつての私が、ほとんどあまり注意を払わなかった箇所が
あることに気づかされた。というより、別な言い方をすれば、こんなにきめ細かい本だったのかと、つくづく驚かされたのだ。
その箇所は、「お金の秘密」の章(P155~)に続く、「人間関係の秘密」の章(P183~)だ。
私が、なぜ、”「お金の秘密」の章に続く、”と、いまあえて書いたか。それは、章だけを独立して見てはいけないと思ったからだ。
この「人間関係の秘密」の章の考え方にも、実は、底辺で、大いに引き寄せの法則の”もどかしい法則”が、しっかり働いているからだ。
そのもどかしい法則の考え方が、「お金の秘密」の章で、かなり現実的で分かりやすく述べられているので、今回のブログで指摘しておきたいと感じたのだ。
そのもどかしいもの=法則とは、何か。
次の引用にすべて含まれている。
「お金を引き寄せるには、富に焦点をあわせ、意識を集中させなくてはなりません。
お金が足りない事にこだわっていては、お金を引き寄せるのは無理です。というのも、
その時あなたはお金がたりないという思考をしているからです。」
(前出「ザ・シークレット」p160より引用)
引き寄せの法則は、良くも悪くも、私たちがフォーカスし意識したことが、現実化されるということだ。
私たちの理性(意識)がどう考えようと、魂(潜在意識)は、それを見抜いている。
つまり、理性が、お金がほしいと思うような時、私たちの心の状態は、単純ではない。
多くの場合、お金が不足しているという心の呪縛が、理性にお金がほしいと働きかけている。
本音は、お金が足りていないと思っているからだ。
そのお金が足りていない状態を、私たちの思いとして、宇宙は捉えてしまう。
すると、それに答えるかのように私たちは、
さらに、宇宙からお金の足りない状態を引き寄せてしまう。
ネガティブな心の状態のままで――その心の状態のまま、たとえ願望の派手な装飾を施した仮面を被せてみても、宇宙の法則は、誤魔化せないのだ。引き寄せの法則を実践して、うまくいかないという体験を持つ人たちは、その心の状態を気づかないまま、ちょっとやってみて失敗する。
「ザ・シークレット」の書いていることを、やってみて、「あーあ、やっぱり駄目じゃないか。」というの人たちの大半は、自己点検してみれば、そういう状態を突き詰めていなかったことによるものだと、私は思っている。
あるいは、そもそも法則に疑念を持っているか。
冷やかし半分のやってみたという程度のことだと思っている。
この法則を心底、信じきる人は、全体として少ないだろうと思っている。
それでも、私は真実の法則だと思っている。学べば学ぶほどに、確信する。
つまり、私たちが、願望を描いた時に、どこにフォーカスしているのかが、
願望の陰に隠れてしまって本音の心の状態が認識できず、
法則としては、むしろその隠れている部分の状態が、現時化されるという矛盾したような
あたりが分かりずらく、「もどかしい法則」だと、私は思っている。
理性と魂の一致は、作業は簡単だが、バランスをとるのは、案外、難しい。
ただ宇宙の法則は、ひたすら厳正なだけだ。
それに対し、私たちの心だけが、揺れて不安定なのだ。
この「もどかしい法則」のもどかしさは、
私が、以前に、自己イメージが大切だとしてきたことと、大いに関係している。
なぜなら、私たちは、宇宙の法則の中で、ただの一員として存在し生きているからだ。
「人間関係の秘密」の章は、「ザ・シークレット」の中では、
大きなテーマは、恋愛や人間関係での付き合いについて語られている章だが。
この章の中の項目
《あなたの役割は自分を大切にすることです。》で、
章全体のテーマとは、やや視点を変えてみた場合、自己イメージの考え方の重要な原則に触れた示唆があるので、
前述した「もどかしい法則」との関わりを考慮に入れつつ取り上げてみたい。
それは、ロンダ・バーン氏の記述に示唆がある。
自己イメージに関わる重要なポイントは、次の記述だ。
「多くの人々は他人のために自分を犠牲にします。自分を犠牲にする人はいい人だと
思っているからです。しかし、それは間違いです。自己犠牲とは、
絶対的な不足という考えに由来しています。」
(前出「ザ・シークレット」p191より引用)
と、ここに、自己犠牲は、
絶対的なまでの不足感を創出するという指摘があるのだ。
人のために尽くすことは、多くの場合、高次元的な願いでもある。
だが、一方では、それは、自らが、十分な余裕があってこそ、成り立つもので。
ここで言う自己犠牲は、自らの”いま”の状態を顧みず、自分自身で、自分に向けられた罪悪感を道連れにしながら、人に尽くすという意味がある。
つまり、自らが不足しているのに、
さらに不足している状態を作り出すことへの間違いと矛盾があるという指摘がある。
「この世には、全員のためにものが十分にあるわけではないので、
自分を我慢します、という考えから出ているからです。
そのときの感情は決して良い気持ちではないので、
いづれ怒りに変わります。」
(前出「ザ・シークレット」p191より引用)
と、本は述べている。
自分が我慢をしつつ、その考えの行き着く先は、
人に尽くしているはずだったのに…を越えて、その人(”たち”あるいは”社会全体”など)に極端に言えば、怒りさえ覚えるという問題点を指摘している。
こうした自己犠牲の背景には、根深いものがネガティブな思いが背景にあると。
「私たちの多くは自分を後回しにするという謙虚の精神を教えられています。
その結果、自分には価値がないとか、自分は何かに値しないという気持ちを
引き寄せてしまいます。」
(前出「ザ・シークレット」p192より引用)
と述べている。
しかし、
ロンダ氏は、次の指摘も忘れていない。
前述した以下の言葉から、まず掲げる。
「この世には、全員のためにものが十分にあるわけではないので、
自分を我慢します、という考えから出ているからです。
そのときの感情は決して良い気持ちではないので、
いづれ怒りに変わります。」
(前出「ザ・シークレット」p191より引用)
に続く言葉として、
次のように言う
「実は、豊かさは全員に準備されているのです。自分が望むものを引き寄せるのは、
自分自身の責任です。」
(前出「ザ・シークレット」p191より引用)
と、
豊かになれるか、貧しいままなのか、それはどう考え、どう思うとも、「引き寄せの法則」は、
誰にでも公平に働いているという示唆だ。
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