夢見心地☆懐メロ番組から受けた違和感 ★20#0412

フィリピン-ピリピン

数年前のこと。
ある公共の場で、ロビーの比較的大型の液晶モニターが、懐メロ番組を流していたので、たまたまそちらを見た。興味は、まったくなかった。ただ、少々、驚いたのは、その懐メロソングに登場する歌手たちが、いつの間にか大きく一変していて、世代交代していたことだ。
 
というのも、懐メロ番組と言えば、昭和の初期を彩ったという東海林太郎や淡谷のり子、高峰峰子、ディック・ミネ、近江敏郎、コロンビア・ローズ、ペギー葉山、島倉千代子、美輪明宏らが出演するものだと。もはやNHKの秘蔵VTRにしっかり収録されている方たちが、登場する懐メロ定番の番組かと思っていた。

これらの方は、私の世代では、とても懐かしいなどという思いが全く生じない、この方たちの全盛期すら知らない歌手たちばかりだ。その番組の出演者も、すでにほとんどが他界している方たちで。同様に、私の亡くなった母が、画面に釘付けになっていた見ていた歌手たちの番組であったが。

今、目の前にしている方たちは、ついこの間まで、第一線で歌っていた…はずの方たちだ。
といっても、指折り振り返ってみると、もうそんな昔になるのか…と思う世代で。
1970年代から1980年代前後(正確ではない)の当時のアイドルなどで。
持ち歌のヒット曲を披露していた。

すでに、画面を通してみるこの形の容貌は、服装は、派手に芸能人ぽくしているが、
それなりに中高年だ。そう思うとき、
自分もまた、老いたのだな…という思いになった。懐かしいというよりも、
この人たちが、もはや懐メロ歌手番組のメインになってしまうのか。
という驚きでもあった。

それはそれとして、彼らの歌が、
ある年齢層の「癒やし」となるなら、それはそれで良いのだろう。
私などが、批判的にあれこれどうこう言う立場にないと自覚している。
だが、まったく悪意なしで言うが、はっきり言って違和感は感じた。

ある時代をスポットして取り上げ、懐古することにどんな意味があるのか…と。
それを「懐かしい」「癒やし」だと言って、
同調し視聴する気が、私には、よく分からない。

まず、懐古の情緒は、言うまでもなく各世代ごとに、
懐かしく思う年代が違う。
現役を少し過ぎたか。あるいは自ら放棄した人たちの情緒に左右される。

仮に、今をすべて捨てて、引き換えにしても良いほどに、
あなたの「(若き日のそれぞれの)その時代がほんとに良かったのか」という疑問を抱く。
もし「Yesだ!」と答えるならば、「現在(いま)」を否定し生きるということは、
自身の不幸を自身で、”いま”作り出していることになる。

幸せは、過去にはないからだ。いまこの瞬間にあるものだからだ。
そして、人は思うとおりのものになるという法則、
つまり無限の力から与えられた秘めたる力を、信じることなく、
その能力を一切活かせないまま放棄していることになる。

私は、少なくも、例え”いま”がどんなに、苦しく、困難な状況にあろうとも、
現在の方が、過ぎし日よりも、はるかに「良い」と常に肯定的に前向きに思っている。

なるべく批判的にならないよう心配りしながら、申し上げてきたつもりだが、
懐古するその気持ちに疑問を感じている分、多少、厭味になっているかもしれない。
お詫びする。ただ懸念しているだけだ。

私は、私なりに後ろ向きな考えや情緒は、何も益をなさないと思っている。

R.W.トラインは、著作
「人生の扉をひらく『万能の鍵』」(吉田利子[訳] サンマーク出版)の中で、

  「豊かさは宇宙の法則であり、妨げさえしなければ、
   必要なものはふんだんに与えられる」
と述べ、

さらに、

  「大勢の人たちが、古いものにしがみついているために、
   もっと高いもっとよいものに近づけないでいる。」と説いている。
  
  (前出:「人生の扉をひらく『万能の鍵』」より引用)

懐古趣味にどっぷり浸るのは、多くのものを失うことに繋がるのかもしれないと、
ふと思わされる。



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