数年前の備忘録のデータからのブログ。
…それは、全体的な意味で、私にとって、
何か、大きな変化が起きつつあるということなのかもしれない…と、
なぜかそう思えた。
たとえば、
一見、無関係な小さなことも含めて、
いまあれこれが、私の周りに起きているからだ。
そのうちの一つで、比較的大きな出来事があって、
それが、2012年、10月末から11月末にフィリピンに出かけたことだった。
神の国フィリピンでは、死者を弔うハロウィンのときのことだ。
私は、フィリピンの彼女に会いに行った。およそ一週間の予定で。
それは、フィリピンコーナーのブログ
「フィリピン・彼女のお母さんのお墓参り
その3 2012年代 #19-45」
(https://isle23ch.com/philippines-pilipin/helloween/624/)
にも、その旨を書いている。
そして、彼女にとっては、すでに他界している彼女の母の姉にあたる叔母に
病気見舞いにいくという約束が私との間にあった。
私は喜んで同伴することを請け負った。
その叔母は、あまりに貧しさで、病院どころか、医者も呼べない。
薬もない買えないほど貧しており、
ただ祈るように静かな死を待つだけの状態の老婆との再会だった。
それは、彼女にとっても、今生の最後の邂逅になるかもしれないことだった。
息のあるうちに、会っておきたいと思うのは、当然のことだろう。
以前、ブログで、そのことにも触れさせていただいている。
高齢であり、病気で床に伏せていた。
11月の段階では、なんとか壁に寄り掛かりながら上半身だけは、
起きあがって彼女と懐かしい話ができたようだ。
そして、その彼女の叔母が、ついに、年の明けた1月5日に果てた。
彼女とSkypeで話した時に、その事実を知った。
87歳だったという。
フィリピン人の平均寿命(66-68才前後)からすれば、
比較的長寿といえるだろう。
長寿…?
人生の終末を貧しさに翻弄されるだけが、果たして長寿として祝えるのか…。
他人事ながら、胸が詰まる思いがする。もういい。この叔母のこの世で苦労は、
どうか、天国で補っていただきたいと、そう神に文句を言いたくなる。
その話を彼女から聞かされて。
そうかと思うより仕方がなかった。
実は、その日(1月5日)、
日本にいる私に、ちょっとしたことが起きていたのだ。
それを、今日のテーマとさせていただいている。
あえて言う。
偶然と言えば、偶然だろう…。
ということで。そう思いたい方には、あえて否定はしない。
言い争うつもりもない。それでいい。その通りだろう。
でも、私は、そうは思っていない。
何が起きたかを記そう。それは、実に他愛のないことだ。
一言で言えば、場所が場所なので…。という感じだが。
水洗トイレで、
プラスティックのUの字型の便座の片側が見事に割れたのだ。
バリッと。音をたてて。
もちろん、私の腰掛け方が悪かったのが問題だった。
以前より、便座の片側のネジがゆるく、多少ズレることがあった。
そこへ、私の腰が、何度もぎっくり腰で、痛めて弱っており、
そろりと腰を下ろすことができない。時折、
中腰から力が抜け、ほぼ落ち気味に座ることがあった。
たまたまタイミング悪く、「ドスンッ!」と気が緩んだ。
バリッと激しい音を立てて割れた。
何が起きたか、一瞬、呆然としたが。すぐに、やってしまった。と思った。
一度割れてしまうと、どうにもならない。接着剤を着けてみるが、
全くうまくいかない。
夕方からパートにも出かける時間でもあるし。
まあ、とりあえず…の気持ちで、
交換までの当面の修繕は、帰ってからと思って、そのようにした。
そして、次の日。
フィリピンの彼女と話をした時に、前述の叔母が亡くなったことを聞いた。
マニラ近郊のブラカンという地域に住む叔母の親戚から連絡があったという。
時間が、便座が割れた時間と同調していたのか、どうかは、疑問だが。
しかし、割と近かったかもしれない…なと。勝手に思っている。
日本との時差が1時間あるので。また連絡のタイミングなどが、正確性を欠くので、
分からないが。同調までは、どうでもいいとして。
少なからず、兆しだったのかもしれない…と、私は思っている。
そもそも、私にとっては、その叔母に対しては、
紙より薄い希薄な縁しかないが。
もっと言えば、彼女を通じての刹那的な出会いでしかない。
ただ、フィリピンの田舎で、その叔母のさみしい姿を見、
そして彼女から紹介もされ、軽い挨拶を交わしただけだが。
その姿に私が思わず涙を流したことへの、
その叔母の思いが私に気持ちを伝え表していたのかもしれない、
と思っている。これも勝手にそう思うことにしている。
そうは言っても。彼女の叔母が、
僅かな縁の中の因果を伝えてきたのだと私は思っている。
というのも、亡くなる数日前に、その叔母について、
その後どうなったのだろう…と、何とはなしに思っていた。
そして、年初には、最近は、どうもまったく意識がないということ。
「いよいよ…らしい」ということを、
彼女も、親戚からの電話で、伝え聞いていたらしい。
亡くなったのは、その話を私が聞いた矢先だった。
私は、その叔母の冥福を祈るつもりで、いづれ、このブログに
そのこと書いておきたかった。そのときが、今だと思う。
せめてもの供養だと思うので。
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