夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)

フィリピン-ピリピン

夢見心地☆心の身支度 ★20#0351

「シュラー博士の願いをかなえる一番いい方法」(ロバート・シュラー著 桑名一央/藤原一郎[訳] 知的生きかた文庫・三笠書房)には、
「積極的な考え方」に誰でも変わる8つのステップが紹介されている。
おもしろい考え方だと思ったのは、

ステップ3だ。
タイトルは、ズバリ!≪朝一番、「心の身支度」を整える≫である。
外出する際には、自身の外見の身支度、服やちょっとした身だしなみを整える。
それと同様に、心にも身支度が必要だというのだ。この記事を読む

夢見心地☆意味のない願いの先延ばし ★20#0352

「マスターの教え」の中で、著者のジョン・マクドナルドは、登場人物のマスターの言葉に託して、
「正しい態度でいれば、すべての状況はコントロールできる。」と述べている。

強く印象的で、この確信し切った霊的な言葉は、
「マスターの教え」を読む度に、私をとてもワクワクさせる。
こうまで著者に云わしめるその信念の発端は何なのか、
私の著者への興味は尽きないが。この記事を読む

夢見心地☆心の抵抗と祈り ★20#0353

私は、「祈り」について考えることがよくある。
その考えのもっとも前提となるのが、祈りの概念は、世界共通だろうということだ。
スタイルや方法は違っても、あるいは個人同志の違いもあると思うが。
人間は、潜在的に「祈り」という行為を行なってきた。

誰に教えられることなく、多くの場合、何か困った状況や願い事等などに関連して
登場してくるのが、この「祈り」だ。この記事を読む

夢見心地☆超えた力に委ねる ★20#0354

斎藤一人さんの本「斎藤一人の絶対成功する千回の法則」(講談社)をパラパラめくっていて、ハッとした。文章にすると大袈裟な感じだが。軽く”あっ”と感じた程度と思っていただきたい。

あまりにもひとりさんは、多くのCDのライブなどでお話が上手く、硬軟織り交ぜた説法のおもしろさやその”なるほど感”の印象が強かったために、うっかり忘れていた重要なメッセージにちょっと気づいたということだ。この記事を読む

夢見心地☆マーフィー博士:宇宙の法則の「公平」とは ★20#0355

成功法則を学ぶ前までは、私は、唯物論的なものの見方を支持していた。、
観念的な精神世界の話と比較した場合に、
どちらかと言えば、世界を物質的に捉えるという概念が、
科学的でロジカルな点で馴染みやすかった。

ところが、その考えは、ここ数年で大きく変わった。この記事を読む

夢見心地☆素晴らしい人生 ★20#0356

ひと昔と言えるほど古い話になる。私が好きだった番組にTV朝日放送の「ちい散歩」があった。地井さんの人柄を通じて旅番組を見るのが楽しみだった。そんな人も多いだろう。
地井さんの急逝の後、番組は、加山雄三氏、高田純次氏と続く。

高田氏もいい味を出していたが、地デジ放送が本格化してから、テレビを持たない現在の私は、もはや番組を見る機会がまるでない。残念に思うが、それも時代の流れ。私の心境の変化でもある。この記事を読む

夢見心地☆夢をかなえるシステム ★20#0357

個人的なことを言うと、
紙に「望むもの」を書くことの有効性や実現性について、
かなり高い関心を持っていると言っておこう。

紙に書くということでは、Web上で、成功法則のちょっとした刺激になった「199式」というのがあって、
そこでもさり気なく語られていたことを受けて、改めて関心を向けてみた。この記事を読む

夢見心地☆ネガティブな思いの弊害 ★20#0358

斎藤一人さんのとても重要な意味のある箇所を少し長めだが、
あえて引用させていただいた。

 「うちの会社ね。すごく変わっているの。おそらく…、
  会社の社長でこんなこと言ってんのオレだけだと思うよ。
  だって、うちって…銀座まるかんって言うんだけど…、
  正式名は、銀座日本漢方研究所って言うの。」

(「千年たってもいい話」斎藤一人著  マキノ出版 ライブ講演のCDより)
      この記事を読む

夢見心地☆幸運の刈り取り ★20#0359

私たちの身の回りに起きているか。いま起きつつある。
あるいはそう感じてしまう

「悪いことは、姿を変えた良いことにほかならない。」とは、
ジェームズ・アレン著「きっとすべてがうまくいく」(坂本 貢一[訳] PHP文庫)からの引用だ。

”姿を変えた○○○”とは、つまり、
私たちの外側の世界である環境や状況、状態にあって
私たちが見ているもの。この記事を読む

夢見心地☆ユダヤ人大富豪の教え ★20#0360

私が、「ユダヤ人大富豪の教え」(本田 健著 大和書房)の単行本に出会ったのは、
2006年の秋だった。
「このままでは、ダメだ。」という自分自身のニッチもサッチも行かない状況で、
宛もなく自分の置かれている境遇の出口を探している時期のことだった。

それまで、私は長くフリーの映像制作者の一人として、あるいはWeb制作を含めたマルチメディア制作物などの分野で、ささやかな仕事をしていた。この記事を読む

タイトルとURLをコピーしました