夢見心地☆意識せず毒する思い ★20#0241
津留晃一氏の言葉には、身に詰まることがよくある。
時に、私のまとまらない思いに、叱咤を加え、分析してくれ、問題解決への道筋を糸口を示してくれているような気がすることがあるからだ。
その前提に申し上げた上で、私は津留氏の言葉が、まだ完全に消化仕切れずにおり、ただ飲み込んでいる段階でもある。あれやこれやの部分で、目を開かせていただいているメッセージもあるが…。としても。まだ自分にそれを自分のものに仕切れていない。吟味が足りないのだ。この記事を読む
夢見心地☆あえて逆発想してみる ★20#0242
斎藤一人さんの本に「人生が全部うまくいく話」(斎藤一人[著] 知的生きかた文庫)というのがあるが。
その中に「明るい顔しているだけで、こんなに報われるんです!」という項目がある。
冒頭より、斎藤一人さんの真骨頂が語られる。
「景気のいいときに、『景気のいい話』をするのは当たり前。そうじゃなくて、
景気の悪い時に、『景気のいい話』をするのが大事なの。」
(前出「人生が全部うまくいく話」より引用)
と述べられているが。この記事を読む
夢見心地☆苦悩が生じる理由 ★20#0243
「自然界の現象はシンプルで、誰もが理解できます。」
(後出「あなたの願いがかなうとき」より引用)
とは、
ェームズ・アレン氏の著作「あなたの願いがかなうとき」(ジェームズ・アレン[著] 葉月イオ[訳] PHP文庫)より≪すべてのことに「原因が結果」が成り立つ≫の項目の冒頭にある一節だ。
私たちは、直接、目や五感などで確認できることには、納得しやすい。
先の文言に次の言葉が続く。この記事を読む
夢見心地☆自身に起きている問題から分かること ★20#0244
アレン氏の以下の言葉を注目していただきたい。
「現実の世界は、あなたの心を移す万華鏡だ。」
(ジェームズ・アレン氏の著作「あなたの願いがかなうとき」ジェームズ・アレン[著] 葉月イオ[訳] PHP文庫 ≪現実は絶えず、心の変化を移し返している≫より)
このメッセージ類したことは、
成功法則本の多くにも同様のことは記述されていることだ。この記事を読む
夢見心地☆望まない「状況と戦うとは?」について ★20#0245
ジェームズ・アレン氏の著作「あなたの願いがかなうとき」
(ジェームズ・アレン[著] 葉月イオ[訳] PHP文庫)の
中に、次のようなメッセージがある。
「『望みは、適切な考えと行動がもたらす適切な結果である。』」
(前出「あなたの願いがかなうとき」より引用)
と、”まず”述べ、
そして、そのことは、
真実なのだとし…この記事を読む
夢見心地☆うまくいっている。うまくいっていない。 ★20#0246
人が多く行き交い利用する公共の場や駅などのゴミ箱の傍で、偶に奇妙な仕草、いやパフォーマンスをしている人を見かけることがある。普通なら、良識を常に問われる成人男性でよく見かける。
それは、単に、ゴミを捨てている光景だ。奇妙だなというのは、
何か、ちょっとしたゴミをポンと捨ててたかと思うと、なぜか、急に、思い出したかのように、
着ている上着のポケットに手を突っ込んで、ここぞとばかり小さなゴミを取り出している。
裏返しにして、しきりにゴミを抜き出している。
たった、それだけことなんだが…。この記事を読む
夢見心地☆その違い ★20#0247
2-3年前までは、よく私の住む近隣の区域や町を歩いたものだった。
さらに自転車で遠出することもあった。
商店街から商店街を巡って行くの好きだった。地名は知っているが、漢字や文字でその名を知っているだけで、一度も通ったこともない地域を行くのは、特に好きだ。いまはその楽しみが、なかなか都合でできないが。いづれまたと思う。この記事を読む
夢見心地☆宇宙からのメッセージ ★20#0247
「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)を偶に、適当にパッと開いてみると、
いろんな細かいところにまで、
気配りがなされて書かれている内容があることに気づかされる。
たとえば、
「自分でも気づかない。ちょっとした理由で、気分が悪くなる」ことについての記述を
たまたま見い出した。
興味を惹いたので、私は、あえてそこに注目してみようと思った。この記事を読む
夢見心地☆いま、満足する ★20#0249
自分の置かれている状況や状態をなかなか変えることができないというのは、
くり返し同じような問題が起きているか。
あるいは、それがいつまでも継続しているということでもある。
別な見方をすると、
自身の気づかない根深い思い込みの中で、
意識的であるか、無意識的かにかかわらず、
自ら望まない状態を生み出す問題を選択をしている可能性がある。この記事を読む
夢見心地☆泥の中でも華として生きる ★20#0250
私は、科学的なものの見方を尊重している。基本的には重きを置いている。
そのことは、以下の話とは別に、誤解のないように、事前に申し上げておく。
といって、非科学的な世界をすべて否定しようとも思わない。
それは、母が他界したときから、私の心情が決定的に変わり始めたと言っていい。
例えば、母が亡くなったときだ。私は、取り急ぎ、子ども神輿のような小さな仏壇を買って、
母の位牌を据えた。
自分自身の変わりようが、一体、どうなったのかと思うように戸惑いもありながら、
自身の矛盾と同居させ、母のために手を合わせた。この記事を読む